中世の惑星
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 09:03 UTC 版)
中世、またルネサンス期の作家は、一般に7つの惑星という考え方を受け入れていた。標準的な中世の天文学の解説書であるヨハネス・ド・サクロボスコの『天球論』では、惑星の中に太陽と月を含めている。Theorica planetarumは、「7つの惑星の理論」を代表するもので、『アルフォンソ天文表』では、表を用いて太陽、月、残りの惑星の平均運動をどのように見つけるかが解説されている。14世紀の詩人ジョン・ガワーは、『恋する男の告解』の中で、惑星と錬金術の成果との繋がりについて、太陽や月も含めて述べている。天動説を否定したニコラウス・コペルニクスでさえ、太陽と月が惑星かどうかについて相反する認識を持っていた。著書『天球の回転について』の中で、コペルニクスは「太陽、月、惑星、恒星」を明確に区別しているが、ローマ教皇パウルス3世への献呈においては、「太陽と月・・・そして5つの他の惑星の動きについて」と書いている。
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