イギリス軍の遠征計画とは? わかりやすく解説

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イギリス軍の遠征計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/09 03:15 UTC 版)

オスウィーゴ砦の戦い (1756年)」の記事における「イギリス軍の遠征計画」の解説

フレンチ・インディアン戦争」も参照 フレンチ・インディアン戦争発端となったジュモンヴィル・グレンの戦い受けて両国政府は、北アメリカ正規軍送り込んだヌーベルフランスと、イギリス領ニューヨーク境界線地域である、オハイオ領土と他の辺境地域めぐっての、両国新たな対立よるものだった。現在はニューヨーク州北部となっているこの地域は、その当時イロコイ族広く支配していた。イギリスの戦略一部には、オンタリオ湖西端にあるフランスナイアガラ砦を、遠征隊を組んで占領する計画もあった。この遠征隊の進路としてオスウィーゴ川をオンタリオ湖へと上り河口指令本部を置くと言うのだった。(現在のニューヨーク州オスウィーゴ市の位置に相当) マサチューセッツ湾植民地総督ウィリアム・シャーリー指揮のもと、オスウィーゴ砦補強されまた、これに付属するジョージ砦とオンタリオ砦とが1755年建設された。ナイアガラ砦への遠征計画は、兵站補給不可能なのと、オスウィーゴ周辺フランス軍が、1755年から1756年にかけての冬に増強されたため、実現には至らなかった。 1755年時点での、フランスオンタリオ湖周辺作戦は、湖に大規模な軍艦を何隻か停泊させ、西のナイアガラ砦と、南のフロンテナック砦の間を自由に航行させるくらいのものだったが、1756年3月、このフランス艦は、オスウィーゴ砦への支援物資重要な貯蔵所であるブル砦を攻撃した攻撃成功しオスウィーゴ駐屯部隊への物資破壊され1756年ナイアガラ砦への遠征予定を、事実上不可能にした。1756年5月ヌーベルフランス総督のヴォードルイユの命令により、フランス軍インディアン同盟軍は、ルイ・クーロン・ド・ヴィリエの指揮の下、ヘンダーソン湾(現在のニューヨーク州サケッツ港)から、オスウィーゴ駐屯部隊追い詰める作戦出た1756年5月フランス部隊指揮するために、将軍ルイ=ジョゼフ・ド・モンカルムモントリオール到着したモンカルムとヴォードルイユは、会うとほぼ同時に互いに性格でも戦略面でも一致しないことがわかったジョージ湖南岸へのイギリス軍集結対する手として、モンカルムはまずシャンプラン湖面したカリヨン砦に行き砦の防御具合確かめた一方ヴォードルイユは、フロンテナック砦にフランス兵集めオスウィーゴへの奇襲可能性示唆した2人は、奇襲隊からの役立ちそうな報告から、計画を練ることにした。 1756年3月マサチューセッツ湾総督シャーリー知らせ受け取った彼の代わりに総督には4代ルードゥーン伯ジョン・キャンベル派遣すると言うのだった。ルードゥーンの副指揮官である将軍ジェームズ・アバークロンビーは、6月下旬ならないオールバニ到着しないため、シャーリーは、アバークロンビーが来るまでに、ナイアガラ砦への遠征指揮見越してオスウィーゴ砦への補給線へのてこ入れ行った6月にはウィリアム・ジョンソンオノンダガイロコイ族根城出向いてイロコイ族部族である、ショーニー族援助を得るための交渉成功したまた、レナペデラウェア)の支援取り付けた。これらの部族の力を、遠征活用したいシャーリー考えていた。シャーリーまた、2,000規模の、航行または造船経験があるバトーマンを雇い入れ7月、ジョン・ブラッドストリートの指揮のもとで、彼らはオスウィーゴ砦への再補給行った。しかし、彼らは、ここから帰る途中でフランス襲撃隊の攻撃を受け、60人から70人の捕虜を出すことになる。 7月終わりオールバニ着いたルードゥーンは、ただちに、シャーリー計画していたオスウェーゴからの遠征中止した

※この「イギリス軍の遠征計画」の解説は、「オスウィーゴ砦の戦い (1756年)」の解説の一部です。
「イギリス軍の遠征計画」を含む「オスウィーゴ砦の戦い (1756年)」の記事については、「オスウィーゴ砦の戦い (1756年)」の概要を参照ください。

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