イギリス軍の襲撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/02 08:19 UTC 版)
8月13日、ドラモンドは、24ポンド軽野砲2門、18ポンドあるいは24ポンドの海軍砲4門で砦に対する攻撃を開始した。この砲撃はあまりに長射程で行われたので、砦の壁に対して効果が無かった。それでもドラモンドは8月15日から16日にかけての夜に3方からの攻撃を掛けさせた。そのそれぞれがアメリカ軍の砲台1つを標的にさせた。最大の部隊はビクター・フィッシャー中佐が指揮する1,300名であり、スネークヒル防御線南端の側面を襲った。2つ目はハーキュールズ・スコット大佐の指揮する700名であり、ダグラス砲台と防衛線の北端を攻撃し、アメリカ軍宿営地を掃討して中央でフィッシャーの部隊と落ち合うこととされていた。3つ目の部隊はウィリアム・ドラモンド中佐が率いる陸兵、水兵、海兵の360名であり、他方面の攻撃が始まってから、昔イギリス軍が建てた兵舎を占領することを目標にしていた。700名を切る予備隊がタッカー中佐の指揮で包囲線の中に残されていた。 スコット大佐とドラモンド中佐はどちらも経験を積んだ軍人だったので、ドラモンド将軍の作戦にあまり信頼を置いていなかった。どちらも戦闘に入る前に個人的な事情の調整を行い、それぞれの妻に宛てて手紙を送っていた。ドラモンドはロンドンのロイズからの贈り物だったその刀を、第89連隊のウィリアム・"タイガー"・ダンロップ軍医に渡してさえいた。出撃の少し前に両人は互いの幸運を祈り、別れを告げた。 各部隊は暗闇の中で出発したが、日中の準備の状況は砦からも見えていた。急襲はほとんど不可能な状況だった。フィッシャー隊はスネークヒルの南まで長駆行軍を行い、スコット隊とドラモンド隊は降り注ぐ雨の中を、砦の北数百ヤードの谷で待機した。攻撃が始まる1時間前に、砦に対する砲撃がやんだ。それまでに砦守備隊に戦死10名、負傷35名を出させていた。
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