イギリス軍の進軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/03 02:18 UTC 版)
「タイコンデロガ砦包囲戦」の記事における「イギリス軍の進軍」の解説
7月1日、セントクレア将軍はこの時も4マイル (6.4 km) 向こうで陣を布いたバーゴイン軍の勢力を知らなかった。バーゴインはフレイザーの前衛隊と右翼部隊を湖の西岸に進ませホープ山の守備隊を遮断しようとしていた。リーデゼルとドイツ人傭兵の部隊は湖の東岸を進み、インデペンデンス山とハバードトンへの道路を目指すこととした。バーゴインは7月2日に前進を命じた。 7月2日朝、セントクレアはホープ山の防衛拠点にある守備隊が突出しており、捕獲される怖れがあったので、これを撤退させることにした。そこの分遣隊は工作物に火をつけ、フランス防御線(1758年のカリヨンの戦いでフランス軍守備隊が陣取ったのでこう呼ばれていた)まで後退したが、バーゴイン軍前衛が到着する時点よりそれほど前ではなかった。その日の午後、イギリス兵1個中隊とインディアンがその前線に向かったが、損傷を与えられるほど近づかないままに発砲を始めた。セントクレアはその配下の兵士達に敵が近づくまで発砲しないよう命令していたが、ジェイムズ・ウィルキンソンが先ず1人のイギリス兵に発砲し、訓練の足りない守備兵が一斉にそれに続いた。ウィルキンソンの一撃でそのイギリス兵を倒し、イギリス部隊が逃亡した。倒した兵士を捕まえると無傷であることが分かり、しかも酒を飲んでいたので倒れたことが分かった。セントクレアは捕獲されたロイヤリストの振りをする男とその兵士を置き換える策略を通じて敵軍の性格を知った。 フレイザーの前衛部隊は7月3日にホープ山を占領した。バーゴインは幾らかの斥候とインディアンに湖の東岸に行ってドイツ人部隊の前衛偵察を命じ、ドイツ兵の幾らかを西岸に向かわせるようにした。イギリス軍の宿営地は大陸軍の前線近くにあるものがあったので、大陸軍の銃火の洗礼を受けた。このことがあってもタイコンデロガとジョージ湖の間の陸路に架かる橋をイギリス軍が修繕をすることを妨げなかった。 イギリス軍の工兵がシュガーローフの戦略的位置づけを見出し、ホープ山から大陸軍が撤退したことでそこへ行く道が開けたことを認識した。7月2日から工兵部隊がシュガーローフ頂上を切り開き大砲を据える作業を始めた。その作業は大陸軍兵に気付かれないよう慎重に進められた。彼らは数日を使って大型大砲数門を斜面の上に引き上げた。バーゴインの目標はリーデゼルのドイツ人部隊が大陸軍の退路を塞ぐ配置に就いたときにその罠を弾けさせることだった。
※この「イギリス軍の進軍」の解説は、「タイコンデロガ砦包囲戦」の解説の一部です。
「イギリス軍の進軍」を含む「タイコンデロガ砦包囲戦」の記事については、「タイコンデロガ砦包囲戦」の概要を参照ください。
- イギリス軍の進軍のページへのリンク