イギリス軍の遠征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 05:46 UTC 版)
「セントルイスの戦い」の記事における「イギリス軍の遠征」の解説
イギリス軍の北からの遠征は北西部領土(現在のミシガン州)ミチリマキナック砦にいた軍政府長官パトリック・シンクレアが率いた。1780年2月から毛皮交易業者達に領土内を巡回し、セントルイスに対する遠征に興味を持つ部族を集めてくるよう指示した。毛皮交易業者達にはこの作戦に参加する動機付けとしてスペイン領ルイジアナ北部における毛皮貿易を支配する機会が提供された。 部隊の大半は現在のウィスコンシン州プレーリードゥシーンに集結し、そこで元は民兵の大尉で毛皮交易業者に転身したエマヌエル・ヘッセの指揮下に入った。その総勢は約2ダースの毛皮交易業者と推計で750名ないし1,000名のインディアンとなり、5月2日にプレーリードゥシーンを出発した。部隊の中でも最大の集団はワパシャが率いたスー族戦士約200名であり、その他にチッペワ族、メノミニー族およびウィネバゴ族もそこそこの数がいた。他の部族からも少数ながら参加していた。チッペワ族酋長マチェケウィスがインディアン全体の総指揮を任された。この部隊が現在のイリノイ州ロックアイランドに到着すると、ソーク族とフォックス族から約250名の戦士が加わった。これらの戦士はセントルイスを攻撃することに気が進まなかったが、ヘッセがその参加を確実なものにするために大きな贈り物を与えていた。
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