イギリス軍の補強
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/08 07:17 UTC 版)
「ウィリアム・ヘンリー砦の戦い」の記事における「イギリス軍の補強」の解説
ウェッブは、拠点であるエドワード砦から指揮をしていた。4月に、フランス軍がカリヨン砦に、物資と兵を集めているという情報を得ていた。7月半ばに、フランスがその活動を続けているという知らせが、フランスの捕虜とともに届いた。ジョゼフ・マリン・ド・ラ・モルグが、7月23日に、エドワード砦の近くにいた作業班を攻撃したことを受け、ウェッブは、ウィリアム・ヘンリー砦へ、少佐のイスラエル・パットナム率いるコネチカット・レンジャーズを連れて行き、その中から分遣隊を、シャンプラン湖へ偵察にやった。戻って来た分遣隊はこう言った、「湖のいくつかの島にインディアン兵が野営をしています、ウィリアム・ヘンリー砦から約18マイル(約29キロ)のところです」パットナムとレンジャーズには堅く口止めをさせ、ウェッブはエドワード砦に戻った。8月2日、中佐のジョン・ヤングと、200人の正規兵、そして800人のマサチューセッツの民兵を、ウィリアム・ヘンリー砦に向かわせた。駐屯部隊の補強のためだった。これによって、駐屯部隊の人数は2,500人にもなったが、そのうちの数百人が健康を害しており、一部の者は天然痘にかかっていた。
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