イギリス軍の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 01:04 UTC 版)
「クルセーダー作戦」の記事における「イギリス軍の状況」の解説
エジプトに侵攻してきたイタリア軍をエル・アゲイラの西まで追い詰め潰滅させたが、ロンメルの反攻によりエジプト国境まで攻め込まれ、これに対する2度の反撃作戦を失敗したため、イギリス首相ウィンストン・チャーチルは中東方面軍 (Middle East Command) 総司令官をアーチボルド・ウェーヴェル大将からクロード・オーキンレック大将に替えた。チャーチルはオーキンレックと連絡を交わすうちに彼が北アフリカの枢軸国軍に対し直ちに攻勢をとらなかったことまた、第50ノーサンブリア歩兵師団 (50th (Northumbrian) Infantry Division) をキプロスへ派遣したことから不満を抱くこととなった。オーキンレックの主張する、戦力を充実して後北アフリカの枢軸国軍に対する攻撃を開始する(開始日を1941年11月1日とする。)ことについて、チャーチルは7月に彼を本国に召還し、議論の結果これを承認するにいたった。 また、中東方面軍は増強を受け、軍の編制で従来からの第13軍団に加え第30軍団が創設され、この2個軍団を基幹としてこれらを統轄する第8軍が創設された。
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