イギリス軍の決断
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 05:52 UTC 版)
「ヨークタウン方面作戦」の記事における「イギリス軍の決断」の解説
フランス陸軍がニューヨーク市地域に動いたことでクリントン将軍は大いに心配事が増えた。クリントンが押収させたワシントンの手紙には、同盟軍がニューヨーク市を攻撃する作戦を立てていることを示唆していた。6月からコーンウォリスに宛てて送り続けた手紙には混乱させ議論を呼ぶような繰り言、提言および推奨が含まれており、具体的で直接的な命令は数度しか無かった。これらの手紙の幾つかはかなり遅れてコーンウォリスのところに届いており、2人の間の対話を複雑にした。6月11日と15日、明らかにニューヨーク市にたいする脅威に反応したクリントンはコーンウォリスに、ヨークタウンとウィリアムズバーグのどちらかを要塞化し、少しでも余裕のある軍勢をニューヨーク市に戻すよう要請した。コーンウォリスは6月26日にウィリアムズバーグでこれら2通の手紙を受領した。コーンウォリスは技師にヨークタウンを調べさせ、防御を施しても無駄なことが分かった。コーンウォリスはクリントンに手紙を書き、ポーツマスに移動して、そこで手に入る輸送船で部隊を北に送ると伝えた。 7月4日、コーンウォリスは幅広いジェームズ川を渡りポーツマスに行軍するためにジェームズタウンの渡し場に向けて軍隊の移動を始めた。ラファイエットの斥候がこの動きを観察しており、イギリス軍は渡河の間に脆弱になるであろうことを認めた。ラファイエットはグリーンスプリング・プランテーションまで軍隊を前進させ、イギリス軍の後衛部隊のみが渡し場に残っているという情報に基づき、ウェイン将軍の部隊を送り出して7月6日にその後衛を攻撃させた。実際のところ、コーンウォリスは巧妙な罠を仕掛けていた。手荷物とそれを守る部隊幾らかのみを渡河させ、「脱走兵」を装った者を派遣してラファイエットに嘘の情報を伝えさせていた。グリーンスプリングの戦いでは、ウェインが巧にその罠を回避したが、少なからぬ損失を出し、野砲2門も失われた。コーンウォリスはその後に川を渡り、軍隊をサフォークまで移動させた。 コーンウォリスは再度バージニア中部を襲撃させるためにタールトンを派遣した。タールトンの襲撃はグリーン将軍の部隊に送られる補給物資を途中で抑えられる可能性があるという情報に基づいていた。この襲撃はタールトンの部隊が4日間で120マイル (190 km) を駆けたものだったが、補給物資は既に動かされていたので失敗に終わった。この襲撃の間にタールトンの兵士数人がギルフォード郡庁舎の戦いでの英雄の一人であるピーター・フランシスコと小競り合いを演じたと言われている。コーンウォリスはサフォークに居る時にクリントン将軍の6月20日付けの手紙を受け取り、それには乗船させた部隊はフィラデルフィア攻撃に使うべきと書かれていた。 コーンウォリスがポーツマスに到着すると、クリントン命令に従って部隊の乗船を始めさせた。7月20日、数隻の輸送船がほとんど出帆できるまでになっていたが、このとき新しい命令が到着し、それは前言を撤回するものだった。クリントンは最も直接的な言葉で、コーンウォリスが必要と考えるだけの兵士を使って水深の深い要塞化した港を構築することを命じていた。コーンウォリスはポーツマスを調べて、そこがヨークタウンよりも適していないことが分かり、クリントンに宛ててヨークタウンを要塞化するつもりであることを伝える手紙を書いた。 ラファイエットは7月26日にコーンウォリスが部隊を乗船させていることを知らされたが、その最終的な目的地に関する情報が欠けており、上陸点となる可能性がある数地点をカバーするための操軍を始めた。8月6日、コーンウォリスがヨークタウンに上陸し、そことヨーク川向かいのグロスターポイントの要塞化を始めたことを知った。
※この「イギリス軍の決断」の解説は、「ヨークタウン方面作戦」の解説の一部です。
「イギリス軍の決断」を含む「ヨークタウン方面作戦」の記事については、「ヨークタウン方面作戦」の概要を参照ください。
- イギリス軍の決断のページへのリンク