イギリス軍の追撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 02:59 UTC 版)
「ハバードトンの戦い」の記事における「イギリス軍の追撃」の解説
イギリス軍のサイモン・フレーザー将軍は7月6日早朝に、大陸軍が砦を放棄したことを発見した。フレーザーは即座にバーゴイン将軍に伝言を残して追撃に出発した。その部隊は擲弾兵(第9、第29、第34および第62歩兵連隊の一部)と軽歩兵(第24、第29、第34、第53および第62歩兵連隊の一部)の数個中隊であり、さらに第24歩兵連隊の2個中隊と約100名のロイヤリスト民兵とインディアンの斥候が加わった。バーゴインはリーデゼルに後を追うように命じた。リーデゼルはブラウンシュヴァイクの猟兵と擲弾兵の数個中隊を率いて出発し、残る部隊にもできるだけ早く後を追うよう命令を残した。フレーザーの前衛隊の位置は、大陸軍の後衛部隊であるエベネザー・フランシス大佐の第11マサチューセッツ連隊から遅れること数マイルに過ぎなかった。 大陸軍のセントクレア将軍はハバードトンで一旦停止して疲れて飢えた兵士達に休息を与え、さらに後衛部隊が到着することも期待していた。後衛部隊が予測した時間に到着しなかったので、セス・ワーナー大佐とそのグリーンマウンテンボーイズにネイサン・ヘイル大佐の第2ニューハンプシャー連隊をハバードトンに残し、主力がキャッスルトンに進む間、後衛部隊を待つように指示した。フランシスの後衛部隊が到着すると、ワーナーはセントクレアの命令に反して、その夜はキャッスルトンには向かわずハバードトンで過ごすことに決めた。ワーナーはバンカーヒルの戦いやカナダ侵攻作戦の間に後衛を指揮したことがあり、宿営はモニュメントヒルに防御的配置を採らせ、タイコンデロガ砦からの道路には歩哨部隊を置いた。 リーデゼルの部隊は午後4時頃にフレーザー隊に追いつき、その兵士達はそこで宿営しなければ前に進めないと主張した。リーデゼルは指揮系統の中でフレーザーの上級将官にあたっていたので、フレーザーはその主張を黙認し、自部隊は敵と交戦することを認められており、翌朝3時には出発することを指摘しておいた。フレーザー隊はさらに前進してハバードトンから約3マイル (5 km) の地点まで進んでから宿営した。リーデゼルは部隊の残りが追いつくのを待ち、総勢約1,500名になって宿営した。
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