プランスノワ奪取
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 08:05 UTC 版)
「ワーテルローの戦い」の記事における「プランスノワ奪取」の解説
同じ頃、プロイセン軍第5、第14そして第16旅団がこの日三度目となるプランスノワへの攻撃を開始した。村の教会は炎上し、フランス軍の抵抗の中心となっていた墓地では「竜巻が起きたよう」に死体が撒き散らされた。新規近衛隊を支援するために中堅近衛隊5個大隊が展開したものの、実際上、彼らの全てがロバウの軍団の残余とともに防戦を行っていた。プランスノワ攻防の要は南側にあるシャトレの森であり、ピルヒの第2軍団に所属する2個旅団が到着して、この森を突破しようとする第4軍団を増強した。プロイセン軍第25連隊マスケット銃大隊は第1古参近衛擲弾兵連隊第2大隊をシャトレの森から逐うとプランスノワの側面を攻撃し、フランス軍に退却を強いた。これはこの日、プランスノワの持ち主が変わる5度目にして最後のことだった。古参近衛隊は整然と退却したが、パニック状態で退却する友軍の群れに巻き込まれて、彼らもその一部となってしまった。 プロイセン第4軍団がプランスノワを越えて前進するとイギリス軍の追撃を受けて無秩序に敗走するフランス軍の群れに遭遇した。プロイセン軍は英蘭軍部隊にあたることを恐れて発砲を控えた。皇帝近衛隊とともに退却しなかったフランス軍部隊は持ち場で降伏して殺害され、その際、双方とも慈悲を求めも申し出もしなかった。プランスノワの攻防の死傷者数に関する資料は存在しないが、この戦いに参加したフランス軍第6軍団と新規近衛師団の将校のうち3分の1が死傷していることが戦いの激しさを物語っている。 偉大な勇気と粘り強さにも関わらず、村で戦っていた皇帝近衛隊は動揺の兆しを見せ始めた。教会はすでに炎上しており、赤い火柱が窓や側廊そして扉から吹き上がっていた。いまだに激しい白兵戦闘が行われている集落の家々も燃えており、混乱を増させた。しかしながら、フォン・ヴィッツレーベン少佐の機動が完了して皇帝近衛隊の側面と背面が脅かされると、彼らも撤退を始めた。ペレテ(英語版)将軍の率いる近衛猟歩兵が殿(しんがり)を努めた。残りの皇帝近衛隊は大慌てで撤退し、大量の大砲、その他の装備と弾薬輸送馬車が遺棄された。プランスノワからの脱出はシャルルロワへのフランス軍の退路を守る場所を失うことを意味していた。戦場のその他の場所とは異なり、ここでは「わが身を守れ!」("Sauve qui peut!")との悲鳴は聞かれなかった。その代わりに「我らが軍旗を守れ!」("Sauvons nos aigles!" )との雄叫びが聞こえた。 — プロイセン軍第4軍団所属第25連隊公刊戦史
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