イギリス軍の配置
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「ストーニーポイントの戦い」の記事における「イギリス軍の配置」の解説
1779年5月下旬、クリントンはこの戦略の端緒として約8,000名の軍隊を率いてハドソン川を遡った。6月1日までに西岸のストーニーポイントと東岸のバープランクポイントを占領し、その防御強化工事を開始した。この動きによって、ウェストポイントより南約10マイル (16 km)、ニューヨーク市から北に35マイル (56 km)、ハドソン川が細くなり主要な渡河地点であったキングの渡しが事実上閉鎖された。 クリントンはミドルブルックに行軍できるように援軍を待つ間、6月初旬にコネチカットの海岸都市に対して襲撃を行うためにウィリアム・トライオンに2,000名以上の部隊を付けて派遣した。クリントンの回想録ではこれでワシントン郡をさらに東に引き出す目的があったとされている。ワシントンはコネチカットの救援のためには大した軍勢を派遣しなかった。クリントンはその作戦のためにストーニーポイントとバープランクポイントの守備勢力を減らした。 ストーニーポイントにはヘンリー・ジョンソン中佐の指揮する第17歩兵連隊の部隊が駐屯していた。この連隊には第71歩兵連隊の2個大隊の1つに所属する擲弾兵1個中隊、ロイヤル・アメリカン連隊の1個中隊相当の分遣隊、およびロイヤル砲兵連隊の分遣隊が付いた。野砲は15門あり、その中には鉄製5門および真鍮製2門のカノン砲、4門の迫撃砲、4門の小型榴弾砲が含まれていた。イギリス海軍の砲艦1隻が川からの接近に対して守るように配置され、武装スループ艦バルチャーも川に停泊していた。 ワシントンは近くのバックバーグ山頂上から望遠鏡でこの砦構築の様子を観察した。歴史家達は、ワシントンがさらに地元商人から集めた情報によって守備隊の勢力、使われている合言葉の種類、特にバックバーグ山からは見えない砦南側の哨所の配置について作戦を作り上げていたと考えている。ワシントンはこの期間に攻撃作戦を作り上げ、ペンシルベニア戦隊の指揮官であるアンソニー・ウェイン准将をその作戦指揮官に選んだ。 ストーニーポイントのイギリス軍陣地は防御の施されたものだったが、18世紀ヨーロッパの感覚で真の砦と呼べるものまでは意図されていなかった。石材が使われず、壁も構築されなかった。防御は土盛りの凸角堡(砲台)と逆茂木(倒木の先端を尖らせ盛り土の上に立てた)で構成されていた。この陣地には西側からのみ接近できる岩の多い高台にあり、前面は川で、両側面は広大な湿地で守られていた。
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