イギリス軍の防衛準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/14 15:05 UTC 版)
「セントジョンズ砦包囲戦」の記事における「イギリス軍の防衛準備」の解説
5月18日にアーノルド達がセントジョンズ砦を襲って砦の小さな守備隊を捕獲し、シャンプレーン湖で唯一の大型軍艦を捕獲して以来、セントジョンズ砦は南からの攻撃に対する備えを行っていた。5月の襲撃の報せがモントリオールに届いたとき、チャールズ・プレストン少佐の指揮下にあった140名の兵士が即座に砦の確保に派遣された。5月19日にはモントリオール市内で50名のカナダ民兵隊が立ち上げられ、やはり砦に送られた。 アーノルド隊襲撃の報せを持った伝令のモーゼス・ヘイズンがケベック市に到着して、イギリスの総督で将軍のガイ・カールトンに報せたとき、カールトンは即座にケベックとトロワリヴィエールから援軍をセントジョンズ砦に向けて発した。カールトン自身は5月26日にモントリオールに行き、植民地全体の防衛手配を監督したが、特にアメリカ側の侵入経路になる可能性が高いセントジョンズ砦に守りを集中させることに決めた。 大陸軍がイル・オ・ノワに到着した時までに、セントジョンズ砦にはチャールズ・プレストン少佐の指揮下で約750名の兵士が駐屯していた。これらの大半は第7および第26歩兵連隊と陸軍砲兵隊の正規兵だった。地元で徴兵された90名の民兵と、アレン・マクリーン大佐のハイランド移民隊からの20名もいた。ハイランド移民隊はフレンチ・インディアン戦争の古参兵だった。インディアンの分遣隊(おそらく近くの集落から来たコーナワガ族)がクロード・ド・ロリミエとギルバート・タイスの指揮で砦の外を偵察していた。リシュリュー川は、ウィリアム・ハンター中尉の指揮で武装スクーナーロイヤルサベージが偵察し、他に建造中の船があった。 砦自体はリシュリュー川の西岸にあり、約600フィート (180 m) 離れた土盛堡塁2つがあり、幅7フィート (2.1 m)、深さ8フィート (2.4 m) の溝に囲まれ、その縁には拒馬が置かれていた。南側堡塁はおよそ大きさが250フィートと200フィート (80 と 65 m) あり、調理場、弾薬庫および倉庫など6つの建物があった。北側の堡塁は幾らか大きく、兵舎として使われる2階建て石造りの建物を内包していた。守備隊は砦の周り数百ヤードの藪を払い、戦場に障害物が無いようにしていた。堡塁の西側には木製の柵を置き、通信を確保するために2つの堡塁を繋ぐ塹壕を掘った。砦の東側は川に面しており、そこには造船所があり、ロイヤルサベージの停泊所があった。
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