イギリス軍人の裁判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 13:55 UTC 版)
「ボストン虐殺事件」の記事における「イギリス軍人の裁判」の解説
事件後、プレストンと兵士たちは逮捕され、サフォーク郡地方裁判所で裁判が行われた。ジョン・アダムス、ジョシア・クインシー2世(Josiah Quincy II)、ロバート・オークミュティ(Robert Auchmuty)の3人が弁護側についた。サンプソン・サルター・ブロウワーズ(Sampson Salter Blowers)は陪審員の選定を行った。そしてマサチューセッツ植民地の首席検事、サミュエル・クインシー(Samuel Quincy)と私立弁護士ロバート・トリート・ペインはボストンの町当局に雇われる形で検察側についた。陪審員全員をボストン町外の者から選んだため、裁判は1ヶ月遅れて始まった。 まず、陪審員はこの事件における射殺はプレストンの命令によって行われたものではないと判断し、プレストンを無罪とした。次いで1人の兵士が銃を全く撃たなかったという事実があったため、検察側は兵士各人の罪を証明しなければならなかった。この段階で、陪審員は6人の兵士を無罪とし、モントゴメリーとマシュー・キルロイ(Matthew Killroy)の2人の二等兵を殺人で有罪とした。本来ならば死刑に処せられるはずであったが、「聖職者の特権」(benefit of the clergy)というイギリス法の規定により減刑され、親指への烙印だけで終わった。
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