フランスとハバナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/05 17:22 UTC 版)
「ガイ・カールトン」の記事における「フランスとハバナ」の解説
1761年3月29日、カールトンは第72歩兵連隊の中佐として、フランス海岸から10マイル (16 km) 離れたビスケー湾北部の島、ベル・イル・アン・メール攻撃に参加した。カールトンはフランス軍に対する攻撃を指揮したが重傷を負い、その後の戦闘には加われなかった。イギリス軍は4週間にわたる戦闘後にその島の残りを占領した。 カールトンは1762年に大佐となり、キューバに対するイギリス軍の遠征に参加した。この時の同僚リチャード・モントゴメリーは後の1775年にカールトンと対戦することになった。7月22日、スペインの前哨基地に対する攻撃を率いているときにまたも負傷した。 1764年、カールトンは第93歩兵連隊に転籍した。
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