フランスとドイツの間で
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/14 08:41 UTC 版)
「ロレーヌ公国」の記事における「フランスとドイツの間で」の解説
ロレーヌ地方を巡るフランスとドイツの帰属争いは、以後もたびたび起こった。 ロレーヌは1870年ないし1871年までフランスの一部となっており、この年はメス周辺のロレーヌ北部はアルザスと共に新たに建国されたドイツ帝国に吸収され、多くのフランス人がアルジェリアを含むフランスに移住した。領域は帝国を構成する諸国家に吸収されたり、あるいは新たな分離国家が作られることはなかったが、議会の陳情抜きでドイツ皇帝が直接指名した総督によって統治されるエルザス=ロートリンゲンとなった。1911年のみ幾分かの自治が与えられた。ドイツ皇帝が退位した第一次世界大戦が終結するまでアルザス=ロレーヌはドイツの一部であり、この時にアメリカ合衆国の支援のもとでアルザス=ロレーヌ共和国の独立が宣言された。フランスは数日後に共和国を占領して吸収した。フランス政府はドイツ語の禁止とフランス語の再使用を方針とした。 1940年にアルザス=ロレーヌはドイツ第三帝国によって再占領され、第二次世界大戦中、ロレーヌはザールラント州と、アルザスはバーデン州とそれぞれ合体した。フランス語は再び禁止され、ドイツの学校での教育が義務付けられた。1944年11月に戦争で引き裂かれた地域は再びフランスの手に戻った。 戦闘が地域に及んだため、ロレーヌは、フランスのアメリカ軍共同墓地の中で最大である、ロレーヌのアメリカ兵共同墓地碑の中心地である。
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