フランスとスペインの政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/09 08:02 UTC 版)
「マドンナ・デル・オルモの戦い」の記事における「フランスとスペインの政策」の解説
クーネオの戦いは1744年中期においてフランスとスペインの政策の相違によってもたらされた。すなわち、スペインはイタリア海岸に沿って進軍し、ジェノヴァを通過してパルマあたりを占領したかった。これはスペイン王フェリペ5世と王妃エリザベッタ・ファルネーゼが息子フェリペ王子のための領地を欲したためであった。一方、フランスはサルデーニャ王国を屈服させてオーストリアとの同盟から離脱させるか、あわよくば戦争からも離脱させようとした。フランス軍の指揮官コンティ公ルイ・フランソワ1世はスペインの戦争計画が不安定で採用できないと考え、一方エリザベッタは自らの目的がブルボン家の連合軍にとって最も重要であると考えて反対意見を容れようとしなかった。結局両者は妥協してまずサルデーニャを屈服させてからロンバルディアへ進軍してフェリペ王子のための領地を確保するとした。
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