フランスと北ヨーロッパ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/29 06:51 UTC 版)
「ファイアンス焼き」の記事における「フランスと北ヨーロッパ」の解説
錫釉陶器を北方で最初に真似たのはオランダである。ファイアンス焼きの一種であるデルフト焼きはホラント州デルフト周辺で16世紀初頭から生産されたもので、中国から輸入した白地に青の磁器(青花)や日本の古伊万里染付の影響を受けて、白地に青の絵付けを特徴とした。模様自体は Dutch décor と呼ばれる独特のものが発展した。 イギリスにもデルフト焼きが伝わり、ロンドンのテムズ川南岸のランベスなどで16世紀後半に生産された。薬屋で薬を保管する壷などを作っている。ロンドンで陶芸工房を開いた人の多くはフランドル人だった。18世紀後半にはより安価なクリームウェアが取って代わるようになった。 オランダ人はドイツにもファイアンス焼きを定着させた。最初の工房は1661年にハーナウに作られ、1662年にはホイゼンシュタムにでき、すぐにフランクフルト・アム・マインにも広まった。 フランスでのファイアンス焼きの中心地はカンペールで、他にルーアン、ストラスブール、リュネヴィル、ニーデルヴィレー、サルグミーヌなどで生産された。 フランスのファイアンス焼き工房では何も印をつけなかったため、その鑑定には陶器本体の特徴、釉薬の特徴や色、装飾のスタイルなどを考慮する必要がある。faïence blanche は装飾のない白さが特徴である。faïence parlante は標語がバナー風に描かれているのが特徴である。薬局用の容器は中身が何であるかをラテン語の略称で書いてある。Faïence patriotique はフランス革命のころに流行したもので、団結などを標語として描いている。 18世紀末、より安価な陶磁器が市場を席巻するようになり、ファイアンス焼きは衰退した。19世紀初めには釉薬を使わなくとも表面がガラス化するような高温で焼くストーンウェア(炻器)が登場し、ファイアンス焼きはさらに脇に押しやられることになった。
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