大連立政権の外相とは? わかりやすく解説

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大連立政権の外相

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:43 UTC 版)

ヴィリー・ブラント」の記事における「大連立政権の外相」の解説

二大政党による連立政権1960年代前半から社会民主党首脳部描いていた構想であった階級政党から国民政党脱皮して政権担当能力高めるためにキリスト教民主同盟社会同盟との政策協議続けられていて、キリスト教民主同盟社会同盟この間小政党である自由民主党振り回され嫌気がさしており、この際社会民主党とで選挙制度改革進めてイギリス流の二大政党制目指したいという思惑もあった。また大連立政権議会絶対多数確保し噴出してきた諸問題対処しようとする狙いもあった。 このキージンガー政権ではキージンガー首相1933年から終戦までナチ党員であり、ゲアハルト・シュレーダー国防相は元ナチ党員で(一時突撃隊在籍)で1941年脱党した人間であり、フランツ・ヨーゼフ・シュトラウス財務相第二次大戦前線将校バイエルン州地域政党であるキリスト教社会同盟党首であった一方社会民主党から入閣したブラントヘルベルト・ヴェーナードイツ問題相は左派社会主義者共産主義者亡命暮らし経験していた。哲学者カール・ヤスパース当時内面での敵対意識払拭されることはなく、ただ押し隠しているしかないブラント囚われ人のように見えた」と語っていた。大連立政権では経済財政領域では一定の成果挙げたが、激し論議となったのは緊急事態法で当時1968年学生反乱国内民主主義的な体制秩序内側か危険に晒されるのを防ぐ目的立案されたもので、1968年5月連邦議会可決された。社会民主党議員団でも多くメンバーがこの法案反対したが、ヘルムート・シュミットがうまくまとめた。この時期にはかつてのブラントノイマンではなく、ヴエーナーとシュミットブラント3人体制社会民主党の中で固まりつつあった。 キージンガー政権外相となったブラント東欧諸国との国交樹立政策推進し1967年1月ルーマニア1968年1月ユーゴスラビアとの間で国交樹立成功したここまで西ドイツ外交基本原理であったハルシュタイン・ドクトリンはこうして破棄された。これはソ連除いて東ドイツ認める国とは国交開かないという原則であり、キリスト教民主同盟社会同盟東ドイツ正式な国家とは認めていなかった。一方社会民主党は「2つドイツ」を承認しない限りドイツの安全は得られないとする考え方であった1968年プラハの春へのソ連武力介入キージンガーこれ以上東方接近拒否した社会民主党キリスト教民主・社会同盟の間の溝が広がりその間割り込んで自由民主党社会民主党外交路線明確な支持与えた1969年3月大統領選挙では自由民主党社会民主党から立候補したハイネマン支援して当選させた。 そして1969年9月第6回連邦議会選挙は、社会民主党(SPD)が42.7%・224議席占めて、46.1%・242議席得たキリスト教民主同盟社会同盟(CDU/CSU)とで5.8%・30議席占めた自由民主党(FDP)との連立目指した。CDU/CSUはその3年前自由民主党との連立解消した経過があり、引き続き政権担当するには社会民主党との大連立継続するしか選択肢はなかった。しかし社会民主党2つ選択肢があった。社会民主党からすればCDU/CSUとの大連立自党よりも大きな政党ジュニアパートナー継続することであり、州レベルではすでに自由民主党との連立政権いくつかの州で実現しており、何よりも直近の大統領選挙自党候補ハイネマン自由民主党支援して当選したことから、自由民主党との小連立の方が独自の政策実現しやすいと考えていた。3年前キリスト教民主同盟社会同盟大連立小連立かの選択があったが、1969年秋は社会民主党がその選択をする立場立っていた。結果社会民主党(SPD)は自由民主党(FDP)との連立選び、ここにヴィリー・ブラント第4代首相就任して社会民主党(SPD)・自由民主党(FDP)連立政権誕生した

※この「大連立政権の外相」の解説は、「ヴィリー・ブラント」の解説の一部です。
「大連立政権の外相」を含む「ヴィリー・ブラント」の記事については、「ヴィリー・ブラント」の概要を参照ください。

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