多神教信仰の特徴とその歴史
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「リトアニアの宗教」の記事における「多神教信仰の特徴とその歴史」の解説
リトアニア大公国がカトリックを受容するまでは土着の多神教信仰がリトアニア人全体に広がっており、それぞれの土地でその地方の神が信奉されていた。リトアニアが統一されると地域ごとの様々な神々は統合され、国家的に祝祭や葬儀などが執り行われるようになる。つまり、それ以前は「分裂していた地霊崇拝を、国の守護神を祀る国家的宗教へと昇華させ得ることに成功した」のであった。国家も多神教の伝統によって組織、運営されるようになり、13世紀まではヴィリニュスの寺院で炎が延々灯され続けられている状況であった。 当時のリトアニア人は農業を主とする生活を送っており、信仰も太陽、雷、動植物など自然を崇拝するアニミズムで、彼らの宗教ではペルクーナス (Perkūnas) と呼ばれる雷の神や大地の女神など多くの神々が信奉されてきた。また輪廻転生も信じられており、火葬の儀式なども行われた。生け贄などの風習も存在していた。これらバルト人の信仰は古代インド=ヨーロッパに起源を持つものと考えられており、そのため、輪廻転生観、自然崇拝、多神教信仰などヒンドゥー教との共通点も多い。 1251年に当時統治者であったミンダウガスがカトリックを受容したが、しかし彼の臣民は改宗を義務づけられなかったため、人々は多神教信仰を維持したままであった。また、ミンダウガス自身は心から改宗したわけではなく、ただ名目上改宗したにすぎなかったとの見方が一般的である。ミンダウガスにとってカトリックへの改宗は騎士団からの攻撃を回避するための手段にすぎず、したがって洗礼名であるアンドレアスは用いなかったのだといわれる。カトリック改宗後も彼が多神教の神々に祈りを捧げる様子も記録に残されており、例えば、『ガリシア=リヴォニア年代記』は、 ミンダウガスは人目を忍んで、不運の神ネナデイ、死者の守護神テルヤヴェル、天空の神にして兎の神ディヴェリクス、森の女神メデインといった神々に犠牲を捧げていた。ミンダウガスが野原に出たときに、一羽のウサギが前を横切った。ミンダウガスはあえて森に踏み入ろうとせず、一本の小枝も折らなかった。ミンダウガスは神に犠牲を捧げ、動物の死骸を焼き、公衆の面前で異教の儀式を挙げた。 と記している。 ミンダウガスの死後はヴィリニュスのカトリック教会は焼き払われ、そこにペルクーナスの社が再建されるなど多神教の復権が進んだ。1377年に当時リトアニア大公だったアルギルダスが死を遂げたが、彼は飼っていた猟犬とともに火葬され、ヴィリニュスに埋葬されている。こうした火葬による埋葬は当時の宗教がシャーマニズムにもとづく来世信仰の強いものであったことを示している。1397年、カトリックが公式にリトアニア大公国の国教となったが、それでも16世紀頃までは農民の間で多神教が信仰され続けた。 その後、リトアニア人の多くは名目上キリスト教徒ということになったが、17世紀から19世紀にカトリック教会が出した資料によれば「異教信仰」は根強く残っており、キリスト教の洗礼は受けつつも同時に多神教の祭日や伝統を祝うといったように19世紀末になっても多神教信仰を保持している者も多くいたという。カトリック教会はこうした多神教信仰を憂い、その根絶に取り組んできた。以上のようなカトリックと多神教信仰の混在という歴史的経緯から、キリスト教の象徴である十字架に現地のアニミズム信仰の要素が加わったものがリトアニアではよく見られる(右画像参照)。また彼らの神話の中には昔話の類いとして現代まで語り継がれるものもある。
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