多号作戦と沈没
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 07:06 UTC 版)
「多号作戦」も参照 ブルネイ到着前の10月27日1715、豊田副武連合艦隊司令長官はレイテ島地上戦にともなう海上輸送作戦(「多号作戦」)を実施するため、南西方面部隊の水上兵力増強を下令した。GF電令作第381号により、第31駆逐隊(岸波、長波、沖波、朝霜)、第41駆逐隊(霜月、冬月)、第61駆逐隊(若月、涼月)は第二遊撃部隊(指揮官志摩清英中将、第五艦隊司令長官)に編入された。29日には、GF電令作第387号により第二水雷戦隊全艦が第二遊撃部隊に編入された。10月30日、長波をふくめ第二水雷戦隊の大部分はブルネイを出発、マニラへ移動した。 11月8日朝、長波は多号作戦第四次輸送部隊(指揮官木村昌福第一水雷戦隊司令官・海兵41期、旗艦「霞」)に所属し、マニラを出撃した。翌11月9日夕方にレイテ島オルモック湾に到着するも、大発が揃わなかったため兵員しか陸揚げできなかった。11月10日、輸送部隊はオルモック湾を出撃してマニラに向かったが、間もなくB-25 とP-38 の攻撃を受けて陸軍特殊船高津丸(山下汽船、5,657トン)、輸送船香椎丸(大阪商船、8,407トン)、第十一号海防艦が沈没し、海防艦占守と第十三号海防艦が損傷した。木村少将は輸送船金華丸(大阪商船、9,305トン)に護衛部隊(海防艦〈沖縄、占守〉、駆逐艦〈若月、潮、秋霜〉)をつけてマニラへ先発させた。駆逐艦3隻(霞〔木村少将旗艦〕、長波、朝霜)とともに救助作業にあたった。救助作業後、駆逐艦3隻と第13号海防艦および後から来た第一号型輸送艦3隻(6号、9号、10号)はマニラへの帰路についた。1418、先行隊も空襲をうけて秋霜が中破した。 この頃、多号作戦第三次輸送部隊(指揮官早川幹夫第二水雷戦隊司令官・海兵44期。旗艦「島風」)は低速輸送船団を護衛してオルモック湾に向かっていた。南西方面部隊指揮官(大川内長官)は8日2059NSB電令作第738号により、駆逐艦4隻(朝霜、長波、秋霜、若月)の第三次輸送部隊編入を、駆逐艦2隻(初春、竹)の第四次輸送部隊編入を命じていた。大川内長官の命令により、損傷した秋霜以外の3隻(長波、朝霜、若月)は第四次輸送部隊から分離、第三次輸送部隊に合流する(代わりに初春と竹が第四次輸送部隊に合流)。11月10日夕刻、長波と朝霜は霞に被害艦生存者を移し、第三次輸送部隊を追いかける。第四次輸送部隊から離脱後、3隻は21時にマスバテ島東方のブラックロック水道で第三次輸送部隊に合流した。 第三次輸送部隊は護衛部隊(島風、浜波、若月、長波、朝霜、掃海艇30号)と輸送船4隻となり、魚雷艇を撃退して進撃した。11月11日の正午ごろにオルモック湾に到着する予定であったが、その直前に第38任務部隊(ジョン・S・マケイン・シニア中将)の艦載機347機による空襲を受けた。各艦は煙幕を展開し、また陸軍戦闘機疾風約30機が出動したが、輸送船団を守り切れなかった。つづいて米軍機は護衛部隊に襲い掛かる。第32駆逐隊司令(大島一太郎大佐)の回想によれば、護衛部隊は浜波・若月・島風・長波・掃海艇30号・朝霜の単縦陣であったという。激しい対空戦闘の末に弾薬が尽きた長波は右舷艦橋下に被弾し、艦右側にも至近弾を浴びた。間もなく右側に傾斜した後、長波は艦首を上げて沈没していった。第三次輸送部隊は朝霜ただ一隻を残して全滅し、早川少将も戦死した。なお朝霜は航行不能になった浜波に接舷し、浜波乗組員を救助してオルモック湾を脱出した。朝霜は浜波乗組員で満杯となっており、また米軍機の空襲も続いていたため、他の浮いている艦を救助できなかった。飛田(長波艦長)は生き残った乗員数十名を引き連れて、いまだ浮いていた浜波に乗り移った。飛田艦長は乗員を各部署に配置させて機関の再始動にも成功したが、マニラ帰投に必要な缶用の真水が欠乏していたので浜波を陸上砲台にしようと決心した。しかし、潮流に流されて擱座に失敗し、浜波に残っていた糧食で夕食をとった後就寝。翌12日、飛田艦長以下の長波の乗員は浜波を離れ、陸上から迎えに来た大発に移ってレイテ島に上陸した。浜波の船体がその後どうなったのかは定かではないが、飛田艦長は生還して、戦後海上自衛隊に入隊した。長波乗組員43名が海軍陸戦隊に編入され、マニラ市街戦やフィリピン地上戦に投入された。 1945年(昭和20年)1月10日、長波は艦艇類別等級表から削除。同時に帝国駆逐艦籍から除籍。第31駆逐隊(長波、沖波、浜波、岸波)も解隊された。1981年(昭和56年)、長波の元乗員10名によって、京都霊山護国神社に長波の慰霊碑が建立された。
※この「多号作戦と沈没」の解説は、「長波 (駆逐艦)」の解説の一部です。
「多号作戦と沈没」を含む「長波 (駆逐艦)」の記事については、「長波 (駆逐艦)」の概要を参照ください。
- 多号作戦と沈没のページへのリンク