多古藩成立後の領地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 00:27 UTC 版)
享保10年(1725年)、初代藩主松平勝以が大坂城代を辞職し、摂津国内の領地を下野国内に移されて以後、多古藩の領地にしばらく変動はなかった。この時期の多古藩領は、下総・上総・下野3か国の7郡43か村にまたがっていた。 下総国香取郡のうち - 15村 葛飾郡のうち - 1村 上総国武射郡のうち - 9村 山辺郡のうち - 3村 長柄郡のうち - 8村 下野国都賀郡のうち - 6村 河内郡のうち - 1村 上記のうち、下総国香取郡15か村・上総国武射郡7か村の計22村が本領にあたり、栗山川を境に「川西十二か村」「川東十か村」と称した。また上総国内の本領以外の領地は「遠上総」、下野国の領地は「野州領分」と呼ばれていた。
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