国常立尊と過去の預言者達
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「日月神示」の記事における「国常立尊と過去の預言者達」の解説
日月神示には未来に関しての記述も多く、上記した第二次世界大戦で主に陸軍の軍人達がこの神示を拠りどころにしていたのも戦争の行く末やその勝敗を知りたかったことも大きな理由のひとつだったと思われる。 神示の中では、これから起こるらしい地球上での大変動や大戦乱などを含む途方もない大災厄を「三千世界の大洗濯」や「大峠」と呼び、それらは現界に生きている人間のみならず霊界なども含めた全ての世界に等しく起こるとされ、神霊の別の言葉によれば「三千世界すべての大建替」になるという。また、洋の東西を問わず、預言者と称される人間が過去に幾人か現れて現在の世界が大災厄と大戦乱の末に終焉を迎えることと、その後にそれまでと全く異なる新しい「理想世界」の到来することを説いているが、それらもすべて「国常立尊」と呼ばれるこの神霊の仕組みであったと神霊自身は語っている。 「一火リの巻」(ヒカリの巻)第四帖で 「世界国々所々に世の大洗濯知らす神柱現はしてあろが、これは皆この方の仕組ぢゃから皆仲良う手引き合ってやって呉れよ。」 と述べられ、時代や国、人種の違いなどを超えて古くからこの神霊の仕組みや働きがあったものと考えられている。 そして、この先に起こるらしい未来の出来事とその対処、心構えについて、神霊(国常立尊)は 「この先だうしたらよいかと云ふ事は、世界中金の草鞋(わらじ)で捜しても九九(ここ)より他分からんのざから、改心して訪ねて御座れ。手取りてよき方に廻してやるぞ。悪の仕組にみなの臣民だまされてゐるが、もう直ぐ目さめるぞ、目さめたらたづねてござれ、この神のもとへ来てきけば、何でも分かる様に神示で知らしておくぞ。」(松の巻第五帖。上つ巻第二十七帖) 「世界の何所さがしても、今では九九(ここ)より外に、神のマコトの道知らす所ないのざぞ。何も分らん枝葉の神に使はれてゐると気の毒出来るぞ、早う其の神と共に此処(ここ)へ参りて、マコトの言を聞いて誠に早う立ち返りて下されよ。」(磐戸(一八十)の巻第十帖。|三(ウミ)の巻第十四帖) 「今度の御用は此の神示読まないでは三千世界のことであるから何処探しても人民の力では見当取れんと申してあろがな、何処探しても判りはせんのざぞ。ちょこら判る様な仕組ならこんなに苦労致さんぞ、神々様さえ判らん仕組と知らしてあろが。兎や角申さずと、神の神示腹に入れて身魂磨いて素直に聞いてくれよ。それが第一等ざぞ。」(アメの巻第十帖。日月の巻第三十六帖) 「この神示肚(はら)に入れて居ればどんなことあっても先に知らしてあるから心配ないのざ、ソレ出たとすぐ判るから胴すわってゐるから何事も結構におかげ頂くのざ。何より改心第一ぞと気付けてあろが、神示肝にはいれば未来見え透くのざぞ。」(んめの巻(梅の巻)第十一帖。アメの巻第十帖) 「世が引繰り返って元の神世に返るといふことは、神神様には分って居れど、世界ところどころにその事知らし告げる神柱あるなれど、最後のことは九(こ)の神でないと分らんぞ。」(下つ巻第二十三帖) 「この世が元の神の世になると云ふことは、何(ど)んなかみ(神)にも分って居れど、何うしたら元の世になるかといふこと分らんぞ。」(上つ巻第二十九帖) 「あちこちに臣民の肉体かりて予言する神が沢山出てゐるなれど、九分九厘は分りて居れども、とどめの最后(最期)分らんから、この方に従ひて御用せよと申してゐるのぞ。砂糖にたかる蟻となるなよ。」(天つ巻第四帖) と語っており、高級神霊や高級霊でも必ずしもその全てが、今後に起こる未来の正確な出来事やその究極の結末(とどめの最后(最期))、また救われるためにはどうすればよいのかといった対処の仕方や救済の方法や道(この先どうしたらよいかと云ふ事は、神のマコトの道知らす所)を分かっている訳ではないらしいことと、その後に移行するとされる「元の神世」に移り変わるギリギリの仕組みについては高級神霊でも、そのほとんどが分からないことだという。 また、この移行する世界「みろくの世」(ミロクの世)と神霊が呼ぶ理想世界が来る前には我々が住むこの現界でもこうした肝心な事が何もわからない神(低級な神)や霊に憑かれた、又は繋がった怪しげな予言者や神懸り、霊懸りした宗教家(低級な神や霊が懸った宗教家)や指導者(同じく低級な神や霊が懸った霊能者やチャネラー)などが多く現れて、世の人を惑わすらしいと記されている次のような帖もある。 「夜明け前になると霊がかりがウヨウヨ、勝手放題にまぜくり返すなれど、それもしばらくの狂言。」(星座之巻第十八帖) 「世、迫って、霊かかりがウヨウヨ出ると申してある時来ているのぢや。悪かみかかりに迷ふでないぞ。サニワ(審神)せよ。外はウソが多いぞ。内の声ウソないぞ。カミカカリ(神懸り)が沢山出来て来て、わけの分らんことになるから、早く此の理(道)をひらいて呉れよ。」(春の巻第二帖。上つ巻第三十九帖) 「色々のお告げ出ると申してあらうが。今その通りぢゃ。お告に迷ふぞ。審神して聞け。判らなくなれば神示見よ。」(黄金の巻第四十五帖) 「心して怪しと思ふことは、たとへ神の言葉と申しても一応は考へよ。神の言葉でも裏表の見境なく唯に信じてはならん。サニワせよ。薬、毒となることあると申してあらうが。馬鹿正直、まことの道見失ふことあると申してあらうが。」(黄金の巻第二十九帖) で書記され、こうした惑わしや混乱も一時的で束の間の今しばらくのものでしかないこと。そして、世に出ている色々なお告げに対しても(たとえ、それが神(高級神霊)からのお告げや言葉であっても)、馬鹿正直に何の疑問も持たずに鵜呑みにして信じるのではなく、自分自身で良くサニワ(審神)、見極めて取捨し、惑わされることがないようにすることが肝要なのだと語られている。神示にあるように馬鹿正直も程を過ぎると「まことの道」を見失ってしまうことにもなるという。 なお、審神の方法については、「龍音之巻」(参20)第三帖で 「世界中が霊かかりとなると申してあるのは今のことであるぞ、かかりてゐる世界自身わからなくなっているぞ、サニワせねばならん、サニワの方法書き知らすぞ。世界を、日本を、自分をサニワせねばならん。」 と述べられ、サニワ(審神)の重要性とそれに続く帖で審神の方法や知識が記されている(これらの一端については上記の「霊界と現界の関係」の節で記す)。 しかし、こうした悪神懸り(あくかみかかり)の人間が多く現れる一方で、「小さい事はサニワで家来の神神様から知らすのであるから、その事忘れるなよ」(下つ巻第二十六帖)や「ひむかとは神を迎えることぞ、ひむかはその使ひ(使い)ぞ。ひむかのお役は人の病をなほして(治して)神の方へ向けさすお役ぞ」(上つ巻第五帖)と書記されている帖もあり、大きなことではなくても、国常立尊の眷属の神霊やその系統の神霊による知らせやお告げ、病気治しなどの働きとそうした媒介や実践行動(神霊からの知らせやお告げを受けたり、また、それを世に知らせていく、実際に病人、病気を治す)などの役割を持つ現界の人間も存在するらしいことが述べられている。
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