同一閣僚内閣としての戦後最長記録
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「第2次安倍内閣」の記事における「同一閣僚内閣としての戦後最長記録」の解説
首相と全閣僚が同じ人員の内閣としては、2014年2月24日に第1次佐藤栄作内閣の第1次改造内閣の425日を超え、同9月3日までに617日を記録し戦後最長記録を更新した。これ以上の期間となるのは、第二次世界大戦前を含めても他に明治時代の第2次山縣有朋内閣(711日)のみである。また、2013年は1年間(1月1日〜12月31日)を通じて閣僚の交代が一件も行われなかった。内閣改造や辞職に伴う閣僚の交代がまったくない年は、三木内閣の1975年以来38年ぶりであった。 第1次安倍内閣の官房副長官だった的場順三は、第2次安倍内閣の長期政権化の理由を「反対意見が多い中、自分で総裁選に出馬して流れを作った。衆院選、参院選の勝利で安倍チルドレンができ、党内基盤が強化されたため」としている。 安倍晋三は今回の内閣を「危機突破内閣」と命名した。第1次安倍内閣で閣僚を務めたみんなの党代表の渡辺喜美は「ちぐはぐ内閣」、琉球新報は「先祖返り内閣」、政治評論家の板垣英憲は「盟友・重鎮、お友達内閣」「経済最優先内閣」、経済アナリストの森永卓郎は「小泉構造改革再現内閣」、経済評論家の勝間和代は「経済再生必勝内閣」、政治ジャーナリストの後藤謙次は「巨頭内閣」、政治評論家の浅川博忠は「必勝堅実内閣」、政治評論家の森田実は「極右はしゃぎすぎ内閣」と命名した。ニューズウィーク日本版は「フェイスブック宰相」と書いた(2013年7月30日号)。 安倍は、当政権発足以前も自民党総裁及び総理大臣を務めたことがある(第90代、第1次安倍内閣、第1次安倍改造内閣)。首相経験者による自民党総裁への再選は党史上初、首相再任は1948年(昭和23年)に成立した第2次吉田内閣の吉田茂(第45代、第48代〜51代)以来である。 元首相の麻生太郎は副総理兼財務大臣として入閣したが、首相経験者の入閣は小渕内閣で宮澤喜一が大蔵大臣(2001年1月6日以降は財務大臣)として入閣(次の第2次森改造内閣まで)、第2次森改造内閣で橋本龍太郎が沖縄開発庁長官および行政改革担当大臣として入閣した時以来。元首相が副総理として再入閣するのは第1次吉田内閣の幣原喜重郎以来である。 鬼籍に入った中川昭一を除く盟友グループNASAの会の全員が内閣の重要閣僚として入閣した。 前総裁にあたる谷垣禎一のほか、その次の総裁を決める2012年自由民主党総裁選挙に立候補した石原伸晃や林芳正も入閣。同じく立候補し決選投票で敗れた石破茂は引き続き党幹事長に留任した。2013年10月からは石原伸晃の弟・石原宏高が外務大臣政務官に就任している。 安倍、麻生、谷垣の3名は、福田康夫(内閣成立前の選挙に出馬せず引退。地盤を受け継いだ息子の福田達夫が出馬して初当選した)とともにポスト小泉(小泉純一郎)と目され「麻垣康三」と呼ばれていたメンバーである。また、2013年10月からは、小泉純一郎の息子である小泉進次郎が自民党青年局長を退任して内閣府大臣政務官兼復興大臣政務官に就任している。 小渕優子は、内閣発足直前まで入閣内定とされていたが、ポスト調整により国務大臣ではなく財務副大臣に充てられた(2013年10月まで)。 初入閣者は10名、再入閣者は8名。この8名のうち麻生、甘利、岸田、菅の4人は1度目の安倍政権(第1次安倍内閣・第1次安倍改造内閣)でも閣僚を務めていた(ただし、全員とも本内閣とは異なるポスト)。同じく以前の安倍内閣で閣僚を務めた高村正彦は党副総裁に留任、高市早苗は党政務調査会長、伊吹文明は衆議院議長にそれぞれ就任した。 連立を組む公明党からは、前代表の太田昭宏が国土交通大臣として初入閣。太田は自民党が野党となる直前(麻生内閣の時)までの公明党の代表であり、次に代表となった山口那津男にとっては与党の党首となるのがこの内閣で初となる。
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