合理化の推進とは? わかりやすく解説

合理化の推進

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 10:13 UTC 版)

近江鉄道本線」の記事における「合理化の推進」の解説

昭和40年代に入るとモータリゼーション進み鉄道利用客減少し始めた。これに対応して職員数削減進められ1972年昭和47年)には米原 - 八日市間がARC化(自動閉塞)された。昭和50年代後半になると国鉄側の貨物輸送拠点輸送化の影響受けて近江鉄道貨物輸送縮減進み1984年昭和59年9月キリンビール輸送1986年昭和61年3月セメント原石輸送1988年昭和63年3月日本石油輸送廃止され貨物輸送全廃となった1984年2月には鉄道による郵便輸送全廃されている。 輸送量少なかった本線八日市 - 貴生川間では、1986年昭和61年4月1日からLE-Car称するレールバス(LE10形気動車)の運転を開始し同時にワンマン運転開始した電化関連設備保守経費ワンマン化に伴う人件費削減狙ったもので、水口にあった変電所休止したこのため日野車庫置いて給水給油行ったが、気動車電車より保守手間がかかる傾向にあったまた、定員輸送量に対して小さくラッシュ時の1本の電車の運行残したことから電化設備維持されたままであった。後に220形導入されるにつれてLE-Car運用減少していき、休止されていた水口変電所1992年平成4年2月復旧され最終的にLE-Car1996年平成8年9月30日限り運用終了した1987年昭和62年)には残されていた八日市 - 貴生川間もARC化(自動閉塞)され、近江鉄道全線自動閉塞化された。また米原 - 八日市間もワンマン運転開始されて、本線全線ワンマン運転となった1990年平成2年)には誤出発防止終端防護機能のある自動列車停止装置 (ATS) が設置された。 1998年平成10年10月JR米原駅新駅舎を建設して移転したため、近江鉄道米原駅取り残された状態となっていた。2005年平成17年)から近江鉄道米原駅移設工事進められ2007年平成19年6月8日開業した新駅は約60メートルJR側に移設され、新駅に至る1609.2メートル線路新設された。 沿線人口減少自動車普及によって1994年平成6年)度から近江鉄道全体赤字となり、施設の老朽化顕著な問題となっている。近江鉄道2016年滋賀県へ「単独経営での運営は困難」と申し入れ、県や沿線自治体との法定協議会開催され今後の方針検討された。協議会の中で沿線住民学校に対して行ったアンケートでは高齢者学生などにとって自動車によらない交通手段として重要という声が上がり、また民間調査会社によって廃止代替施策を行うより存続した方が費用面で効果的結論出し近江鉄道全体存続決定した

※この「合理化の推進」の解説は、「近江鉄道本線」の解説の一部です。
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