合理化と路線縮小の衰退・停滞期とは? わかりやすく解説

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合理化と路線縮小の衰退・停滞期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 09:26 UTC 版)

富山地方鉄道富山軌道線」の記事における「合理化と路線縮小の衰退・停滞期」の解説

高度成長期迎えた日本国内においては、急速な市街地拡大モータリゼーション進展により、全国のほとんどの大・中都市自動車利用者の増加ともに軌道系交通利用客数漸減する傾向次第顕著化ていった富山市においてもその影響次第暗い影を落とすようになり、経営合理化のための乗務員削減を図るべく1969年昭和44年6月から一部系統ワンマン運転開始し、翌1970年昭和45年4月までに全系統ワンマン運転変更した。 しかし、自動車増加による路面電車鈍足化が利用客減少拍車をかける悪循環食い止めることはできず、結局1972年昭和47年9月東部線一部中教院前 - 北新町 - 地鉄ビル前間)が廃止となったのを皮切りに、翌1973年昭和48年3月には支線西町 - 旅篭町 - 丸の内間)が廃止され環状運転系統消滅した1977年昭和52年8月より、射水線新富山駅前 - 富山駅前間への乗り入れ再開するなど経営努力続けられたが、その射水線自体1980年昭和55年4月廃止となった。さらに1984年昭和59年)には西町 から不二越駅前へ通じていた東部線残り西町 - 中教院前)と山室線(中教院前 - 不二越駅前)が廃止され路線南富山駅前から大学前までの1本のみとなり、総延長最盛期半分近い6.4kmへと衰退してしまった。 その後平成入りバブル崩壊と共に経済停滞するうになると、急激な開発市街地拡大速度鈍化するとともに路面電車代替交通機関としての新規鉄道路線新交通システム地下鉄等に対す自治体高額費用負担不可能との判断がなされ、全国的な路面電車廃止の嵐は下火となり、現有路線消極的に維持存続させる動き主流となっていった。

※この「合理化と路線縮小の衰退・停滞期」の解説は、「富山地方鉄道富山軌道線」の解説の一部です。
「合理化と路線縮小の衰退・停滞期」を含む「富山地方鉄道富山軌道線」の記事については、「富山地方鉄道富山軌道線」の概要を参照ください。

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