合理化と持株会社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 06:11 UTC 版)
「バンク・オブ・アメリカ」の記事における「合理化と持株会社」の解説
戦後、バンクアメリカは情報革命に努めた。ジェネラル・エレクトリックやスタンフォード研究所(現・SRIインターナショナル)と提携し、業務の集中処理化、小切手の自動処理、口座番号、磁気インク文字認識(MICR)などを開発した。1954年クラーク・ベイズ(Clark Beise)が社長となっていたが、1963年までオートメーション化を進め職責を果した。彼はウォルト・ディズニー・プロダクションとフルハーフ(日本フルハーフの親会社)で重役をつとめ、SRIインターナショナルで顧問をしたこともあった。1956年、銀行持株会社法(Bank Holding Company Act)が制定されて、銀行業とそれ以外の兼業を禁じた。バンクアメリカは保険事業をトランスアメリカに譲渡。さらにカリフォルニア州外の銀行業務を、やはり新たに設立されたファースト・インターステート・バンコープ(1996年ウェルズ・ファーゴに吸収)に譲渡せざるを得なかった。1958年には、クレジットカード『バンカメリカード』が発明された。1960年アメリカ・ニューヨーク州にあるチェースマンハッタン銀行が、バンカメリカードと競争するため、Master Charge(現在のMasterCard1962年)を発明した。1968年、バンクアメリカおよびその子会社を所有する目的でバンクアメリカ・コーポレーションが設立された。1971年にトム・クラウセン(Alden W. Clausen)が社長となり、1981年に世界銀行へ移った。これは第三世界の対外債務がデフォルトしそうなので、国際交渉に参加しようということであった。なにせ、バンクアメリカは当時アグリビジネスに対する世界最大の貸し手であった。サム・アルマコスト(Sam Armacost)が社長職を引き継いだ。1983年、バンクアメリカはシアトルのシーファスト・コーポレーションと、その銀行業務の子会社であるシーシアトル・ファースト・ナショナル・バンクを買収し(Seafirst Bank)、カリフォルニア以外に経営を広げることを許された。同1983年、チャールズ・シュワブ(Charles Schwab Corporation)を買収した。このブローカーは翌年ノーロードのミューチュアル・ファンドを設定した。ジャンク債の隆盛期であった。そこへラテンアメリカなどがデフォルトし、バンクアメリカは1986-87年に巨大な損失を被った。クラウセンはチャールズ・シュワブとグループのイタリア子会社を売り払った。
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