各騎手について
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安田隆行 デビューから東京優駿までの6戦に騎乗。テイオーに騎乗するまでの安田はローカル開催での勝利が中心で、GI級競走での活躍とは縁がなかった。1982年に足を骨折してからはその後遺症に悩まされ続け、1988年には「5年計画で調教師を目指そう」と決心していた。しかしテイオーで皐月賞、ダービーを連勝して全国区の知名度を獲得、JRA発行の「ジョッキー列伝」ポスターも制作された。東京優駿の1週間前になるとスポーツ新聞はテイオーが東京優駿を勝つことが既成事実のように報じたが、安田に対する取材も凄まじく、調教がある火曜日の朝に「東京のTVに生出演してほしい」という依頼もあった。1992年に主戦騎手を降板して以降は大阪杯、天皇賞(春)でテイオーと対戦し、大阪杯でテイオーの後ろ姿を見て「あの馬に俺は乗っていたんだ」と誇らしくさえ思ったという。岡部に乗り替わった際には「やっぱり悔しかった引用エラー: タグに対応する タグが不足しています。1993年の有馬記念は最後の直線で思わず大声を出してしまったといい、「僕も、涙が出そうになったよ。田原君らしくて、よかったね。それにビワハヤヒデに勝ったのだから」と振り返っている。引退式に出席した際の騎手紹介では、安田への声援がもっとも大きかった。長浜牧場場長の長浜秋一は、一番安心してレースを見ていられたジョッキーとして、「新馬から乗ってるから馬の心をしっかり押さえてる感じがする」として安田を挙げている。安田は後年、テイオーについて「テイオーは僕の人生のすべて。表舞台に引き連れていってくれたから」と語っている。 岡部幸雄 古馬としての初戦・産経大阪杯からジャパンカップまでの4戦に騎乗。岡部は父・シンボリルドルフの全16戦に騎乗したが、その父との比較でテイオーを語った。初めて跨った際には「背中、フットワークは父そっくり、落ち着き、賢さは父以上」と評したが、最終的には「父親のレベルに達する要素はいくらでも持っていた馬ですが、結局そうはなれなかった」と総評している。一方で、「怪我なく順調に行って、普通にレースを重ねていたら、もっと違う仕事をしていたと思う。大変な馬になっていたと思うよ。そういう意味での残念な気持ちは残りますね」とも語り、度重なる故障を惜しんだ。最後の有馬記念でビワハヤヒデを選択した際には「テイオーは終わったと見切りを付けた」という見方もあったが、競走後には、悔しくないかとの問いに対し「他の馬に負けるくらいならテイオーに負けた方がいい」と語ったとも伝えられている。翌年にこの有馬記念を回顧した際には、最後の直線でテイオーが迫ってきたことがわかった時に『おっ、テイオーが来た。オーッ、こいつ凄い、蘇った』と瞬間的に思ったといい、「自分が乗っていた馬でもあるし嬉しかったけれど、関係者の人たちの頑張りが報われてよかったと感じました」と語っている。後年トウカイテイオーとビワハヤヒデとの上下について、「コンスタントに走れるのはとにかく強み」としてビワハヤヒデを上位に挙げたものの、「テイオーは確かに強いときはビワ以上のものを感じた」と述べている。ジャパンカップは岡部の2005年の引退に際して、同年3月12日・13日に中山競馬場で当日来場したファンに向けて実施された投票企画「ファンが選んだ想い出のレース」で第1位に選ばれ、この結果を伝えられた岡部は「ルドルフが1位かと思ったらトウカイテイオーなんで意外でした」としつつ、「ジャパンカップ親子制覇は嬉しかった」と語った。 田原成貴 1992年・1993年の有馬記念の2戦に騎乗。2戦のみの騎乗ながらテイオーに心酔しており、「素晴らしい乗り味だった」として自身が騎乗した最強馬にテイオーを挙げている。テイオー引退に際しては自身のエッセイでテイオーに宛てる形を取り、「有馬記念での2分30秒9は、私のこれまでの人生で最も充実した素晴らしい時間でした」「あなたのおかげで、競馬のことが少しだけ分かってきた気がします。ありがとう、トウカイテイオー」と謝辞を述べた。田原は騎乗する以前のテイオーの印象について、騎手引退後に出版した自著の中で「皐月賞とダービーをあれほど余裕を持って勝った馬を見たことがなかった」と述べ、父シンボリルドルフ以上の器であるという評価は本当かもしれないと思っていたと明かしている。前述の松元から騎乗依頼を受けた際には非常な嬉しさを感じたといい、結果的に現役最後のレースとなった1993年の有馬記念では、騎乗依頼を受ける前から「ずっと調教を見ているが、トウカイテイオーは必ず走る。ぶっつけだろうが何だろうが、ジャパンカップを勝った時より今回のトウカイテイオーの方が良い」との見解を示し、有馬記念の2週間前に受けたインタビューで「覚えていたほうがいいですよ。テイオーは絶対走りますよ」と発言していた。競走直前の返し馬では、「人にしゃべるのがもったいないくらい」というほどいい状態だと感じたといい、馬場に出た瞬間「バイクに乗り、ほんの少しアクセルを開けただけなのに身体が大きく煽られるような凄まじい活力が、テイオーの全身から漲っていた」と振り返り、その動きの良さに「これが本当のテイオーだったのか」と感心し、「『トウカイテイオーが勝つぞ』と叫びたくなった」と回顧している。最後の直線手前でテイオーの手応えが悪くなりかけた時には「テイオー、がんばれ」と叫び続けたといい、口取り写真撮影の際には「大した馬だな、テイオーというのは」、「少しでも勝利を疑ったりして、悪かったな」という思いが込み上げてきて涙が溢れ出たという。
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