デビューから東京優駿までとは? わかりやすく解説

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デビューから東京優駿まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 07:35 UTC 版)

メリーナイス」の記事における「デビューから東京優駿まで」の解説

1986年8月3日函館競馬場デビューした均整取れた馬体調教見せ優れた瞬発力から注目され、1番人気に推されこれに応えて勝利した。続く2戦目コスモス賞ゴールドシチーの4着、3戦目りんどう賞はこの世代の一番馬目されていたサクラロータリーアタマ差の2着と敗れた。続くいちょう特別で2勝目挙げると、GI朝日杯3歳ステークス出走した。 頭ひとつ抜け存在見られサクラロータリー骨折戦線離脱していたためレース混戦模様となり評価割れる中、メリーナイス重賞2連勝でここに臨んだホクトヘリオスに続く2番人気支持された。レースでは好位に取り付き直線力強く抜け出す1馬身半差で優勝した。この勝利によって、メリーナイス関西阪神3歳ステークス制したゴールドシチーと共に最優秀3歳牡馬選ばれた。 明けて迎えた4歳シーズンは、スプリングステークスから始動した。しかしマティリアル前に見せ場なく9着に敗れ、続くクラシック初戦皐月賞でも7着に敗れた。そして迎えた東京優駿では皐月賞サクラスターオー不在で同3着のマティリアル人気集中する中、4番人気推された。 レースではマティリアルマークされる形で中団を進んだが、4コーナー先行集団取り付く直線では逃げ粘るサニースワローをかわしてそのまま差を広げ続け最終的にサニースワローに6馬身差を付けて優勝した。この着差ダービー着差としては史上4番目の大差手綱取った根本は「後続馬の足音が聞こえなかった」と語り、のちにJRA作成したポスターで「四白 流星 六馬身。」というキャッチコピー使われるほどの圧勝だった。

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デビューから東京優駿まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 05:18 UTC 版)

ライスシャワー」の記事における「デビューから東京優駿まで」の解説

調教積まれ3歳戦が始まる7月札幌開催にはデビュー迎えられる態となった。しかし7月初旬熱発起こして札幌での初戦見送られデビュー1ヶ月後、8月10日新潟開催迎えた当日飯塚厩舎所属であった若手騎手水野貴広鞍上に、2番人気支持される。ここは先行策から最後直線でダイイチリュモンをクビ競り落とし初戦勝利を挙げた水野後年このレースについて調教の時から、この馬は走ると思った。ふつう新馬戦というのは、不安と期待半々なんですが、この新馬レースだけは絶対に負けない自信をもって乗りました」と振り返っている。 重賞初出となった2戦目の新潟3歳ステークスでは、水野前日騎乗停止処分受けたことから急遽菅原泰夫代役務めた当日3番人気推されたが、スタート遅れて後方からのレースとなり、馬群内側包まれたまま11着と敗れたレース後に菅原は「条件が悪すぎていいとこなしだったが、乗った印象としては短いところで忙しレースをするより、長距離でじっくり勝負するタイプだと思った」とコメントした。3戦目に格上挑戦出走した芙蓉ステークスでは騎手水野に戻ると、最後直線入り口先頭立ってから、1番人気アララットサンとの競り合い制し2勝目挙げた。しかし、この競走後右前脚の骨折判明全治3ヶ月診断されトレーニングセンター内での療養図られた。 翌1992年3月29日4歳となったライスシャワー皐月賞へのトライアル競走スプリングステークス復帰する若手水野では荷が重いとの判断から、ベテラン柴田政人騎乗した的場均にも声が掛けられていたが、的場先約があるとの理由でこれを断っている。この競走ミホノブルボン初対戦したが、同馬が2着に7馬身差をつけて勝利した後方で4着となった柴田政人は「この勝負ではミホノブルボンとの差は決定的だが、この先体調良くなり、レースの距離も伸びれば、かなりいいところまで行く馬だと思ったよ。ぼくはもう皐月賞ダービー乗る馬が決まっていたんで、この馬に乗るのは多分この1回だけと思ったけど、もう乗らないのが惜し気持ちになったもの」と述懐している。ちなみにこのレースにはサクラバクシンオー出走しており、同馬はこのレース12着と大敗喫したことでクラシック出走諦め、後の主戦場となる短距離路線進んでいる。 次走・クラシック初戦皐月賞より、的場均騎手務めた。この競走では最終コーナー手前から失速しミホノブルボン優勝後方で8着、東京優駿日本ダービー)へのトライアル競走NHK杯でもやはり8着となった的場はこの結果について「最初から過度期待はしていなかった」とし、「このままじゃ本番ダービー)も苦しいかなと、相手実力比較して考えました」と述べている。5月31日迎えた日本ダービーでは18頭立て16番人気評価だったが、最終調教ライスシャワー調子上がっていることを感じた的場は「いい位置粘りきることが、馬の力を引き出す一番の方法だと思って逃げたミホノブルボンに続く2番手でレース進めた最後直線ではミホノブルボンとの差を詰めることができず、後方から追い込んできたマヤノペトリュース(田原成貴騎乗)に一旦は交わされたが、最後に失速した同馬を差し返す形となり2着で入線ミホノブルボンとの馬連配当2万9580円という波乱の立役者となった。2着という結果について的場は「すべてがうまく運んで2着に入ったんだ」と思った程度であったが、引退後出版した自著において、「もし田原騎手が『ブルボン負かすのは無理』と、照準ブルボンではなく僕ら向けて2着狙いできていたら、おそらく楽に捉えられてしまっただろうし、そういう意味では、この2着はラッキーであったかもしれない」としながらも、「日が経つにつれて『この馬で、あのミホノブルボンに、三冠最後菊花賞で何とか立ち向かいたい』という気持ちが、僕にも強く湧いてきた」と述懐している。

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