即位礼正殿の儀の前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 15:14 UTC 版)
「明仁から徳仁への皇位継承」の記事における「即位礼正殿の儀の前」の解説
ウィキソースに即位後朝見の儀における天皇陛下のおことばの原文があります。 翌5月1日0時、徳仁は第126代天皇に即位し、同時に元号は「令和(れいわ)」と改められた(改元)。そして、退位した明仁は(光格天皇以来の)上皇となった。10時前、徳仁は皇居に到着し、即位後初めての国事行為として、剣璽等承継の儀を国事行為として行う閣議決定(第4次安倍第1次改造内閣)に裁可した。10時30分から5分ほど、剣璽等承継の儀が26人が参列した上で松の間で行われた。侍従が、皇位の証である剣璽、天皇の印の御璽、国家の印の国璽を徳仁の前の台「案」に置くことで、皇位継承が明らかになった。これに合わせて、宮中三殿では、徳仁に代わって掌典長が徳仁が即位した旨の御告文を読み上げる「「賢所の儀」と「皇霊殿神殿に奉告の儀」とが行われた。そして、11時12分から7分ほど、即位後朝見の儀が、徳仁に加え、皇后となった雅子やその他の女性皇族も出席した上で、290人余りが参列して行われた。徳仁は、「象徴としての務めを果たし、国民を思い国民に寄り添っていく」と述べ、内閣総理大臣の安倍晋三も挨拶した。その後、徳仁は15時頃に即位後初めて明仁に会い、15時半過ぎには宮殿で皇族から祝賀を受けた。その後、侍従職からも祝福を受けた。 ウィキソースにご即位一般参賀における天皇陛下のおことばの原文があります。 5月4日には14万1130人が来場して、宮殿で即位一般参賀が行われた。徳仁は、「おことば」の中で、「国民の幸せと日本のより一層の繁栄、世界平和を願う」と述べた。 5月8日午前には、「賢所に期日奉告の儀」と「皇霊殿神殿に期日奉告の儀」が宮中三殿で行われ、御告文を読み上げて、即位の礼と大嘗祭が行われる期日を報告した。また、同日午後には、宮殿で「神宮神武天皇山陵および昭和天皇以前四代の天皇山陵に勅使発遣の儀」が行われ 、伊勢神宮と神武天皇、それに昭和天皇以前4代の天皇の陵に使者が派遣された。この4人の使者は、5月10日に「神宮に奉幣の儀」と「神武天皇山陵及び昭和天皇以前四代の天皇山陵に奉幣の儀」 を 伊勢神宮と神武天皇、それに昭和天皇以前4代の天皇の陵で行い、即位の礼と大嘗祭の日付が書かれた御祭文を読み上げた。 5月13日午前には、神殿で、「斎田点定の儀」が行われ、亀の甲を用いた占いの結果、大嘗祭で用いる米の産地は東の悠紀地方の栃木県と西の主基地方の京都府にすることが決まった。 一方、上皇となった明仁は上皇后となった妻の美智子とともに在位中、時間的な余裕がなく、積み残しとなっていた退位に関する儀式に臨むため、6月6日に「大正天皇山陵に親謁の儀」、6月12日には明治天皇・孝明天皇の山陵にも同様の親謁の儀を行い、退位を報告し、退位関連の儀式を全て終えた。 7月26日には、東御苑で大嘗宮地鎮祭が開かれ、掌典職が祝詞を上げた後、幹部が拝礼を行った。9月26日15時からは、栃木県高根沢町と京都府南丹市で「斎田抜穂前一日大祓」が行われ、米の収穫予定者が清められた。翌9月27日には、両地で「斎田抜穂の儀」が行われ、大嘗祭で用いる米が収穫され、稲実殿に置かれた。10月15日には、この新穀を大嘗宮に運び込む「悠紀主基両地方新穀供納」が行われた。
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