動物たちの運命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/11 03:38 UTC 版)
「タイタニック号に乗船していた動物たち」の記事における「動物たちの運命」の解説
タイタニック号に乗船していた動物のうち、ごく少数の犬だけがこの事故を乗り越えて生還した。生き残った3頭の犬はいずれも小型犬で、飼い主によって保護されて救命ボートに乗り込むことができた。 マーガレット・ヘイズは愛犬のレディを毛布の中に包み込んでともに救命ボート7号艇で脱出に成功し、この犬は1919年(一説には1921年)まで生き永らえた。カルパチア号の船内では、レディは幼いナヴラティル兄弟のよい遊び相手となった。ヘンリー・スリーパー・ハーパー夫妻と夫妻がカイロで雇用したエジプト人男性の通訳は、孫逸仙を連れて救命ボート3号艇に乗り込んだ。 エリザベス・ロスチャイルドのポメラニアンも、飼い主とともに救命ボート6号艇に乗り込んだ。カルパチア号が救命ボートから乗客たちを救助したとき、最初はこの犬も一緒に連れて行くことを拒否された。エリザベスは犬が一緒でなければ救命ボートから降りないと主張したため、カルパチア号の乗員は折れて犬の同行を許可した。 ただし、エリザベスが犬とともに生還したことは、彼女の夫マーチン・ロスチャイルドがタイタニック号と運命を共にしたという事実のために公表されなかった。この犬のたどった運命については、謎が残っていた。エリザベスの子孫は、他の犬と争いになって殺されたと主張していた。1995年のArgetsingerとエリソンの記録によれば、犬はニューヨークへ到着した後、ドックの混乱の中で馬車に轢かれて死んだという。 ヘレン・ビショップは船室内でフラウ=フラウを見捨てざるを得ず、その事実は彼女の残りの人生に大きな悲しみと苦悩を残した。彼女と夫のディッキンソン・ビショップは新婚旅行中で、タイタニック号での旅はその最後を飾る素晴らしい思い出になるはずで、しかもヘレンは妊娠中の身であった。フラウ=フラウはヘレンを行かせまいとして、その歯で縫い目が裂けるほどに彼女のドレスにしがみついた。のちにヘレンは、フラウ=フラウを失った悲しみについて証言している。「私は子犬を失い、とても傷つきました。私はフラウ=フラウがどのように私の服を引っ張ったか、決して忘れません。あの子は私と一緒にいたかったのです」。 タイタニック号が沈没に至るまでのわずかな段階において、犬小屋に繋がれていた犬たちは鎖から放たれた。沈みゆく船の上では、傾斜を増しつつある甲板を走り回っている犬たちの姿が目撃された。ロバート・W・ダニエル所有のフレンチ・ブルドッグは泳いでいる姿を目撃されたが、結局行方不明となった。 事故の数日後に沈没現場近くを数隻の船が通りかかり、無線通信によってタイタニック号の乗員乗客の遺体が漂流している位置を報告し、その情報はケーブル敷設船マッケイ=ベネット号(en:CS Mackay-Bennett)による遺体収容作業に役立った。客船ブレーメン号は、北緯42度00分、西経49度20分の海上に約100名の遺体が漂流していることを報告した。ブレーメン号の乗客ジョアンナ・スタンク夫人は、ニューヨーク到着後に自分の目撃した悲痛な情景について、次のような証言を残している。 「私たちは、赤ん坊をしっかりと胸に抱いた寝間着姿の女性の遺体を見ました。そしてそのそばには、ふさふさした毛の犬を抱き締めた別の女性が漂っていました…(後略)」 なお、事故の犠牲となった動物たちにも補償金が支払われた。ウィリアム・カーターの娘ルーシーは、キング・チャールズ・スパニエルの補償金として100ドル、息子のビリーはエアデールテリアの補償金として200ドルをロンドンのロイド社からそれぞれ受け取った。ロバート・W・ダニエルは純血種のブルドッグの損失として750ドルを、エラ・ホームズ・ホワイトは鶏の補償金として207.87ドルをそれぞれ要求した。ハリー・アンダーソンは、チャウチャウの補償金として50ドルを見積もった。
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