動物と人身売買
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/18 16:39 UTC 版)
「ハーゲンベック動物園」の記事における「動物と人身売買」の解説
父カール・ハーゲンベックが珍しい動物の収集を始めたのは1863年で、鮮魚商として出入りするハンブルク港 (英語版) に荷揚げされるものから選んだ。やがて動物の取引が1870年代には本業より活況を呈するようになる頃、ハーゲンベックはヨーロッパで指折りの珍獣商として名をはせる。息子のハーゲンベックは1874年に動物を買い付けに世界を回る。ところがハーゲンベックは各地で集めた人々を使う「人間動物園」(英語版) を構想し、サモア人やサーミ (ラップランド人) を「まったく天然の人々」として展示する計画を実行する。サーミの人々はテントや武器、そりを並べた展示施設に数頭のトナカイとともに入れられた。 「動物の園ハーゲンベック」をハンブルクに開園するのは1874年で、人間の展示も続けた。1876年になるとヨーロッパ各地で動物の商談の場を兼ねた移動見本市を開き、ヌビア人を展示する。またラブラドールに代理人を送り、ドイツ系のキリスト教宣教団がいたへブロン (英語版) の居住地から「エスキモー」 (イヌイット) を連れてくるように依頼し、ハンブルクの自分の施設で展示した 。 当初は人気を集めた動物見本市だったが、やがて写真の普及によりハーゲンベックの展示と現実の違いが知られるようになるに連れ、だんだんすたれていく。とうとう見本市を終えても1頭も商談が成立せず、多数の象をかかえたハーゲンベックはサーカスの興行をはじめる。また人間動物園の不人気を挽回するため、より本物らしい演出を考えるようになり、やがてその技術は動物園の展示にも影響を与える。
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