世界を回る
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 05:45 UTC 版)
1923年、Le Journal紙の提案を受けて、通信員としてトルコに赴く(これは彼にとって図書館司書の仕事をやめてフリーになる絶好の機会であった)。トルコ革命中のアナトリアを横断し、彼はアンカラでケマル・アタテュルクへのインタヴューを行なった。続いてパレスチナやシリアにも足を伸ばした。 1923年から38年、および47年から53年の期間、ブノアは小説家と記者の仕事を並行して行なった。記者としては極東(日本を含む)、イラン(1926-27年)、オーストラリア(1938年)、タヒチ、アンティル諸島(1928年)、チュニジア(1931年)、レバノン(1932年)、インド洋(1933年)、オーストリア(1938年)、アルゼンチン、ブラジル(1950年)などを訪れた。政治家への取材も行なっており、1935年にはハイレ・セラシエ1世やムッソリーニと、1938年にはヘルマン・ゲーリングと、第二次大戦後にはポルトガルの独裁者アントニオ・サラザールと会見している。 これら多くの旅行は創作に大変役立った。彼の作品のほぼ全てが、取材で訪れた国を舞台としている。彼のルポタージュにはフランス植民地帝国を擁護する傾向が強く、また頑固なイギリス嫌いもしばしば顔を見せる。
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