公害後期とは? わかりやすく解説

公害後期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 12:05 UTC 版)

四日市ぜんそく」の記事における「公害後期」の解説

1967年九鬼喜久男市長四日市市更なる工業化のため、四日市市議会自民党議員第3四日市コンビナート建設する議案採決働きかけ強行した霞ヶ浦地区埋め立て昭和40年代第3四日市コンビナート建設する議案強行採決された。第3コンビナート建設予定地周辺の地区四日市市北部地域羽津地区富田地区富洲原地区公害拡大する事が想定された)で「ノーモア塩浜」のスローガン公害になると反対していた富田地区連合自治会長富田地区住民見守り公害発生していた塩浜地区中部地区橋北地区海蔵地区日永地区などの四日市市南部地域中部地域在住する公害患者喘息で咳こみ苦しんだり、強行採決怒りながら傍聴していた。前川辰男議員などの革新クラブ日本社会党議員日本共産党系議員)・公明党新風クラブ民社党議員)の必死抗議反対押しのけて富田地区富洲原地区自民党議員四日市市西部農村自民党議員によって、四日市第3コンビナート建設する議案与野党激し乱闘の末に四日市市議会議場で、賛成が(自民党系)の26票、反対が(野党の日本社会党日本共産党革新系公明党民社党中道系)の15票の賛成多数強行採決された。 四日市公害によって地区別では塩浜地区600人以上の犠牲者次に被害があった海蔵地区で約200人の死者中部地区橋北地区日永地区でもそれぞれの地区100人近く犠牲者出たと云われる。またそれ以上自殺者多数いて、乳児死亡者が多数いて、因果関係不明死亡者多数出た実際犠牲者公害病認定患者とされるのは約1000人だが、塩浜地区民(人口15000人)の内、約40%の住民身体の異常を訴え6000人近く軽度喘息患者がいたという。よって、公害患者以外の因果関係不明死亡者を含むと四日市公害犠牲者1000人を超え2000人以上の四日市市民が死亡した可能性がある。一方で四日市市北部富田地区富洲原地区四日市市西部地区では犠牲者は0人であった治療塩浜病院行われた1965年に「四日市市公害病認定制度」が発足して、「公害対策委員会」も発足したが、四日市コンビナート規模拡大する一方であった。1969年3月四日市公害裁判中だった78歳原告男性死亡した1969年12月 石原産業工場排水伊勢湾汚染され四日市海上保安部摘発した1971年7月佐藤内閣によって「環境庁」が発足して四日市公害裁判38歳原告だった女性ぜんそく発作死亡した1972年4月に 「三重県公害防止条例」が改正硫黄酸化物総量規制がされる1972年7月24日に「四日市公害裁判」で患者側が勝訴した。1972年9月2日小学4年女児ぜんそく発作死亡した1973年10月に 「公害健康被害補償法」が成立した1974年三重県公害防止条例」が改正されて、窒素酸化物及びCOD総量規制がされる1987年9月に 「公害健康被害補償法」が改正され新規公害病患者認定廃止する1994年公害病患者減少塩浜病院閉鎖され三重県立総合医療センターとなった

※この「公害後期」の解説は、「四日市ぜんそく」の解説の一部です。
「公害後期」を含む「四日市ぜんそく」の記事については、「四日市ぜんそく」の概要を参照ください。

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