富洲原地区とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 富洲原地区の意味・解説 

富洲原地区

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/01 14:52 UTC 版)

富洲原地区
とみすはら
日本
地方 東海地方近畿地方
都道府県 三重県
自治体 四日市市
旧自治体 三重郡富洲原町
テンプレートを表示

富洲原地区(とみすはらちく)は、三重県四日市市の地区の一つ。市域の最も北東に位置する。1941年に四日市市に編入された旧三重郡富洲原町の町域にあたり、四日市市役所富洲原地区市民センターの管轄区域である。

概要

地名の由来

  • 富洲原命名の由来[1]
    1. 富田一色村 - 地区名の一文字で富田地区から独立する形で最初の漢字である「富」の文字を採用した。
    2. 天ヶ須賀村 - 地区名の一文字で須賀村や天洲の別名があり「須」の文字から変換して「洲」の文字となり採用した。
    3. 松原村 - 地区名の一文字から「原」の文字を採用した。
  • 3地区から1文字ずつ取って富洲原となった(富洲原地区の名称は、一般的にさんずい付きの「洲」で表記されるが、行政地名としての富州原町はさんずいのない「州」となっている)[2]
  • 富洲原地区を統合する象徴的な施設が富洲原小学校である。校門が3つあり、富田一色地区に向いている富田一色門が甚五兵衛町。天ヶ須賀の石取祭が開催される住吉神社がある天ヶ須賀地区に向いている天ヶ須賀門が富洲園団地。松原の石取祭が開催される松原地区に向いている松原門が茶ノ水町に向けられている。

地理

面積

  • 面積 2.04 km2

歴史

沿革

  • 1889年(明治22年) - 町村制施行・合併により朝明郡富洲原村がに成立[2]
  • 1896年(明治29年) - 朝明郡が三重郡と合併し、三重郡所属となる[2]
  • 1923年(大正12年) - 町制施行により三重郡富洲原町となる[2]
  • 1941年(昭和16年) - 四日市市へ編入し、同市の富洲原地区となる。

脚注

  1. ^ 四日市市地区要覧37頁
  2. ^ a b c d 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 745.

参考文献

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  富洲原地区のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「富洲原地区」の関連用語

富洲原地区のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



富洲原地区のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの富洲原地区 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS