富洲原霊園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 01:55 UTC 版)
元々富洲原地区(富田一色村・天ヶ須賀村・松原村)の墓地施設や火葬場など死人を供養する宗教施設は松原村・富田一色村・天ヶ須賀村の各村に設置されていた。さらに江戸時代以前にさかのぼれば小集落毎に設置されていたと推定されるが、各小字毎に墓地・火葬場が設置されていた記録は見当たらない。近代になり富洲原火葬場が設置されて、同じく墓地として三重郡富田町大字東富田の代官町地内に一部大字に残してまとめられた。1925年(大正14年)5月に東富田代官町地内(現在の前田医院があるところ)から四日市市平町24番地内に移転されて、四日市市役所富洲原出張所の所管となった。火葬場の右隣にある建物は通称位牌堂といって、日清戦争・日露戦争・満州事変・日華事変・太平洋戦争において戦死した英霊を遺族の希望によって慰霊して祀る所で昭和50年代に396柱を祀ってある。毎月15日には富洲原地区の各寺院の住職の奉仕活動により、富洲原地区の戦死者の遺族が集結して供養を続けており、毎年お盆の8月15日は富田一色地区代表・天ヶ須賀地区代表・松原地区代表と遺族が出席して盛大な供養と法要が行われている。
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