全羅道忠清道掃討戦とは? わかりやすく解説

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全羅道・忠清道掃討戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 18:42 UTC 版)

文禄・慶長の役」の記事における「全羅道・忠清道掃討戦」の解説

朝鮮王朝では釜山集結中の日本軍朝鮮水軍攻撃するように命令したが、度重なる命令拒否のために三道水軍統制使の李舜臣罷免され後任元均任命された。 朝鮮水軍引き継いだ元均攻撃渋ったが、ついに慶長2年1597年7月出撃行った。しかし、攻撃失敗し帰路巨済島沖の漆川停泊していた。この情報得た日本軍水陸から攻撃する作戦立て7月16日海上からは藤堂高虎脇坂安治加藤嘉明等の水軍攻撃し陸上からも島津義弘小西行長等が攻撃した。この漆川梁海戦日本軍大勝となり朝鮮水軍幹部指揮官元均李億祺崔湖戦死させ、軍船のほとんどを撃沈し壊滅的打撃与えた海上から朝鮮水軍勢力一掃した日本軍は、翌8月右軍左軍(及び水軍)の二隊分かれ慶尚道から全羅道向かって進撃開始した対す明・朝鮮軍は道境付近黄石山城南原城で守り固めたが、日本右軍8月16日黄石山城落城させた(黄石山城の戦い)。さらに、左軍および上陸した水軍諸隊8月12日から南原城を攻撃し明軍では主将の明将楊元逃亡李新芳・蒋表・毛承先ら副将戦死朝鮮軍では李福男(全羅兵使)・任鉉(南原府使)・金敬老(助防将)・鄭期遠(接伴使)・申浩(別将)・元春(求礼県監)・馬応房(鎮安県監)・呉応鼎(防禦使)・李徳恢(判官)・黄大中(義兵指揮官)ら諸将戦死南原城は落城し、明・朝鮮軍は5000人が戦死し全滅した。(南原城の戦い)。逃亡した楊元は後に罪を問われ明軍の手によって処刑された。日本軍がたちまち二城を陥落させ全州城に迫ると、ここを守る明軍逃走し8月19日無血占領する。南原全州陥落により明・朝鮮軍の全羅道方面における組織的防衛力瓦解した日本諸将全州軍議行い右軍中軍左軍水軍分かれ諸将進撃路と制圧する地方分担行い守備担当決め全羅道忠清道瞬く間占領した北上した日本軍一時漢城放棄考えた明軍であったが、結局南下して抗戦決意し9月7日先遣隊の明将・解生と黒田長政部隊忠清道京畿道の道境付近稷山遭遇戦となった決着はつかず、毛利秀元救援到着を耳にした明軍水原撤退し日本軍引き上げた稷山の戦い)。 一方海上では、朝鮮水軍残存艦隊三道水軍統制使に返り咲いた李舜臣率いて全羅水営拠っていた。李舜臣は、南原城から南下した後、再び乗船して西進していた日本水軍を、9月17日海峡迎え撃ち、これに痛打与えると速やかに退却した。この鳴梁海戦翌日日本水軍は朝鮮水軍去った全羅水営占領する。さらに、日本陸軍により全羅道西岸制圧されると朝鮮水軍拠点失い李舜臣全羅道北端まで後退し日本水軍は全羅道西岸まで進出し陸軍呼応するかたちで制圧していった。このとき日本水軍は姜沆や鄭希得などの多く捕虜得た。後に『看羊録』を残した姜沆9月23日藤堂水軍捕虜となった地点全羅道霊光西岸である。 稷山日本軍進出すると、明・朝鮮軍は漢江を主防衛線に設定し、ここをなんとか死守ようとしていたが、漢城では日本軍接近パニックに陥っており、人々逃走をはかりほとんど無人となるほどであった。このときの明軍兵力少数にすぎず弱体であり、朝鮮軍は既に潰散していた。このとき、朝鮮では漢城維持できる状態になく、朝臣たちはわれ先に都を出て避難することを献策した。 一方日本右軍稷山での戦闘の後9月10日には京畿道安城竹山まで前進した。 こうして日本軍秀吉作戦目標通り全羅道忠清道成敗し、さらに京畿道まで進出すると、計画通り沿岸部撤収し文禄の役の際に築かれ城郭群域の外縁部(東は蔚山から西は順天に至る範囲)に、計画通り新たな城郭群を築いて恒久領土化目指した。城郭群の完成後は各城の在番以外の軍勢帰国する予定で、翌慶長3年1598年)中は攻勢行わない方針立てていた。朝鮮朝廷では日本軍反転理由分からず日本軍の罠ではないか疑った

※この「全羅道・忠清道掃討戦」の解説は、「文禄・慶長の役」の解説の一部です。
「全羅道・忠清道掃討戦」を含む「文禄・慶長の役」の記事については、「文禄・慶長の役」の概要を参照ください。

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