全羽保護、野生絶滅へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 04:57 UTC 版)
捕獲されたトキの一覧名前性別捕獲年月・場所備考カズメス 1965年7月(新穂村) 幼鳥。腹腔部の大出血により1966年死亡。 フクオス 1965年10月(佐和田町) 幼鳥。腹腔部の大出血により1968年死亡。 フミ 1967年6月(新穂村) 捕獲時は雛。腹腔部の大出血により1968年死亡。出血の原因は寄生虫と判明。 ヒロ 捕獲時はひな。1968年死亡。 キンメス 1968年3月(真野町) 捕獲時は幼鳥。「ノリ」「ミドリ」「ホアホア」とのペアリング・交配はいずれも失敗。日本産の最後のトキとなった。2003年10月10日死亡。 ノリオス 1970年1月(穴水町) 能里。本州最後のトキ。オス。1971年死亡。 キイロメス 1981年1月(両津市) 寄生虫感染と肺炎により1981年6月17日死亡。 アカメス 1981年死亡。 シロメス ミドリとのペアリングに成功するが、産卵時に卵が詰まり、1983年死亡。 アオメス 捕獲時には既に脚を傷めていた。1986年死亡。 ミドリオス 最後に捕獲された5羽のうち唯一のオス。シロとの交配に失敗。北京動物園に貸し出されるが「ヤオヤオ」との交配は失敗し、帰国。日本に送られてきたフォンフォンとの交配も失敗。1995年死亡。 1965年(昭和40年)、幼鳥2羽(「カズ」と「フク」)を保護したことから人工飼育が試みられるが翌年、「カズ」が死亡。解剖の結果、体内から有機水銀が大量に検出されたため、安全な餌を供給できる保護センターの建設が進められる。1967年(昭和42年)トキ保護センター開設。「フク」と、1967年(昭和42年)に保護された「ヒロ」「フミ」の計3羽がセンターに移された。翌1968年(昭和43年)「トキ子」(後に「キン」と命名される)を保護。1970年(昭和45年)には能登の最後の1羽「能里(ノリ)」を保護し、トキ保護センターに移送する。キンがメス、「能里」がオスだったことや盛んに巣作りを行っていたことから、繁殖に期待が持たれたが、1971年(昭和46年)に「能里」が死亡。人工飼育下の「トキ」はキン1羽となった。(「フク」「ヒロ」および「フミ」は1968年(昭和43年)に死亡) 1968年(昭和43年)にNHKがトキの営巣地である黒滝山上空にヘリコプターを飛ばし空撮を行ったが、1969年(昭和44年)にトキが黒滝山の営巣地を放棄し人里近い両津市へ移動したのは、そのためだという指摘があるが定かではない。 1981年(昭和56年)1月11日から1月23日にかけて、佐渡島に残された最後の野生のトキ5羽全てが捕獲され、佐渡トキ保護センターにおいて、人工飼育下に移された。これにより、日本のトキは野生絶滅したとされる。なお、この時点に至るまでまだ中国でのトキ再発見はされていなかったため、日本のトキが生き残ってる世界最後のトキであると思われており、地球上から絶滅寸前なトキのニュースは日本のメディアで大きな扱いで報じられていた。同年5月に、中国でトキが再発見されている(後述)。
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