作家時代中期
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「レオナルド・シャーシャ」の記事における「作家時代中期」の解説
1961年、シャーシャを小説家として一躍有名にした小説『真昼のふくろう』発表。作家の推理小説シリーズ第一作目に当たり、文学史上初めてマフィアをイタリアの社会悪として告発する物語小説である。68年には、ダミアーノ・ダミアーニ監督により映画化もされた。この作品によりマフィア問題についての論争が激しくなり、レオナルド・シャーシャの作家・知識人としての特徴を定義づけるような作品である。 作家にとってシチリアは単なる小説の材料であるだけでなく、一つの苦しみであった。そんな作家の心をとらえたのは主に18世紀ヨーロッパの論理性を尊重する革新的思想、啓蒙主義者の思想であった。どんどんシチリア化していくイタリア全体を見たシャーシャは、なぜこれほどまでに、シチリアに悪(マフィア問題や教会の権力と政治家たちの腐敗)がはびこることになったのか、混乱の原因は何なのかを考え、60年代からシチリアの歴史を深く研究するようになった。『真昼のふくろう』発表の同年、『ピランデッロとシチリア』というピランデッロについての二作目の評論も出版している。 1963年、『エジプト評議会』を出版。16世紀の終わりごろに実際にパレルモで起こった事件にヒントを得て書き上げた歴史小説である。 1964年、『異端審問官の死』発表。この作品は、17世紀にスペインで異端審問かけられ非業の死を遂げた、作家と同じラカルムート出身の修道士ディエゴ・ラ・マティーナについて書かれた作品である。文書資料や記録を徹底的に調べ上げ書かれた。 1966年、推理小説シリーズ第2作目にあたる『人それぞれに』出版。完全に都市に進出し、政治界にまで入り込んだマフィアの様子を描く。 70年代はシャーシャがもっとも活発に活動した時期である。 1971年、推理小説シリーズ第三作目に当たる『権力の朝』出版。 1974年、シリーズ第四作目『トード・モード』の発表。これらの小説は、76年から大躍進を始めるイタリア共産党と長年第一党だったキリスト教民主党の権力の癒着と、78年に起こる元首相アルド・モーロ誘拐殺人事件を模倣したかのような作品で、大論争を巻き起こした。預言者的に叫ばれ始めたシャーシャは、イタリアが危機的状況や問題に直面したとき、常に意見を求められ、作家・知識人として注目を浴びる。 1975年、共産党員としてパレルモ市議会の選挙に立候補し、多くの票を得て当選。政治家としても活躍を始めるが、歴史的妥協の政策について同じ共産党員と意見が合わず、わずか18ヶ月後には辞任する。 1979年、急進党の提案を受け、急進党議員として欧州議会と国会議員に立候補し、当選。ここでは主にアルド・モーロ誘拐殺人事件の専門調査員として活動した。83年に辞任。 モーロ事件の直後にシャーシャが書き上げた『モーロ事件』は、イタリアよりも先にフランスで発売されたほどであり、フランスでの人気のほども伺える。 シャーシャの書く作品はジャンル分けが難しく、推理小説の手法をとりながら純粋な推理小説ではなく、社会現実を題材としながらジャーナリズムとも異なるものである。その中で作家は、史実と想像を巧みに融合させた独自のスタイルを完成させてゆく。 『マヨラーナの失踪』はもっとも注目された時期のシャーシャの代表作であると言える。ファシズムの時代に実在した物理学者エットレ・マヨラーナを扱った歴史ものでありながらも、刑事物の推理小説のスタイルで展開したシャーシャ文学の特徴的な作品である。この作品は多くの物理学者を巻き込む長い論争を生んだ。1987年のインタビューで、シャーシャは自身の作品の中でもっとも気に入っているのはこの『マヨラーナの失踪』であると答えている。 1977年からは毎年1ヶ月パリで過ごすようになる。
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