あいづしこん〔あひづシコン〕【会津士魂】
会津士魂
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ライフワークともされる『會津士魂』は、『歴史読本』誌で1970年から連載213回、原稿用紙7000枚に及ぶ全13巻の大作で、完結後の1988年に東京会館で完結祝いが開かれ、発起人遠藤周作、丸谷才一、森繁久彌はじめ600人近くの出席があった。明治維新後の会津藩士を描いた続編の『続會津士魂』全8巻も2001年に完結した。会津出身で渡米した桶屋の娘を描いた『おけい』(吉川英治賞候補)などの会津ものもある。 会津松平家の現当主松平保久とも親交があると同時に会津藩への思慕の強い作家として有名であり、1968年直木賞受賞時には東京新聞に「私の血の命じるまま」と題して寄稿し、「会津武士の末裔としての血の意識が痛切に私の運命を支配しているのは、曽祖父の悲憤が、三代にわたって外国生活を強いる結果となったことと無関係ではない」と、明治維新が作家としての出発点であることを述べている。『會津士魂』に代表される幕末作品・考察における視点は一貫して会津・新撰組など幕府側に立っており、明治新政府側の薩摩藩・土佐藩などの西国諸藩や、最後には会津藩を見捨てた徳川幕府に対して批判的であり、とりわけ会津藩と終始敵対した長州藩とその関係者に対しては、徹底的に辛辣かつ一切容赦のない全面的に否定的な記述に終始している。そうした記述姿勢に対する批判も少なく無い。ただし薩長、尊攘側についても、長州人の山田顕義について好意的な『志士の肖像』や、『奇兵隊の叛乱』、月形半平太を題材にした「ある志士の像」、中山忠光を題材にした「最後の天誅組」などを著している。 日本ペンクラブ常任理事を務め、1984年国際ペンクラブ東京大会では企画司会等を担当、1985年サンマリノ、86年ハンブルク、87年ルガーノ、88年ソウル、1990年マディラ、92年リオデジャネイロでの国際ペン大会に出席。1993年に専務理事就任、サンティアゴ・デ・コンポステーラでの国際ペン大会、1995年ブレッドでの国際作家会議、エルサレムでの日本文学フェスティバル、1996年グアダラハラ、1997年ブレッドでの国際ペン大会に代表として出席。 2008年12月23日、胃癌で死亡。 趣味の絵画では、1984年に新宿高野ギャラリーで『江戸を歩く』原画等による個展、1985年に会津中合デパートで『會津士魂』出版記念個展「早乙女貢が描く会津の詩」、1995年に京王プラザギャラリーで「城下町を描く絵画展」などを開催。1999年「政経文化画人展」に出品し、文部大臣賞を受賞。北辰一刀流は二段の腕前。1987年に映画化された『竜馬を斬った男』では浪士役で特別出演した。 早乙女は、尾崎秀樹が創設した大衆文学研究会の二代目会長となった。早乙女の死去後、大衆文学研究会により主催されていた「尾崎秀樹記念・大衆文学研究賞」が「尾崎秀樹記念・大衆文学研究賞(早乙女貢基金)」となっている。
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