会津坂下町との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 04:23 UTC 版)
故郷である会津坂下町への想いも強く、幼少時に通った町立八幡小学校にピアノを寄贈し校歌を作曲、町立第二中学校の校歌、応援歌も作曲した。また会津坂下町民歌、会津坂下音頭を作曲し自ら歌いレコーディングするなど町の発展に尽くした。会津坂下町も八郎の功績をたたえ、同町の船杉地区(一本杉と地蔵が実在する)に「春日八郎記念公園・おもいで館」を建設。遺品の展示コーナーやカラオケコーナーがあり、八郎の作品の品揃えも日本一となっている。また2003年には会津坂下駅前の広場に春日の銅像を建立し、さらに2007年10月13日には『赤いランプの終列車』の歌碑も建立された。2005年10月5日、会津坂下駅において駅舎の壁と八郎の銅像がスプレーにより落書きされる事件が発生した。このニュースはテレビ番組など多くのメディアで取り上げられた。
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