作家としての出発点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/06 16:11 UTC 版)
「ムハンマド・ディブ」の記事における「作家としての出発点」の解説
1948年にブリダ県の県都ブリダに近いシディ・マダニ(フランス語版)で行われたフランス領アルジェリア総督府の青少年・市民教育運動局主催の作家会議に出席したことが一つの転機となった。この会議で、短期のレジダンとして同地に滞在していたフランスの作家ジャン・ケロール(フランス語版)、ルイ・ギユー(フランス語版)(それぞれ1947年と1949年にルノードー賞受賞)、哲学者ブリス・パラン、アイン・ティムシェント県(アルジェリア)出身の詩人ジャン・セナック(フランス語版)、モントヴィ(アルジェリア)出身ですでに代表作『異邦人』、『ペスト』などを発表していたアルベール・カミュらに会う機会を得たからである。セナックとは以後長年にわたって親交を深め、また、すでにフランスのスイユ社から作品を発表していたケロールの尽力で、ディブの作品はその多くがスイユ社から刊行されることになる。また、その一部が、オラン(アルジェリア)出身の作家エマニュエル・ロブレス(フランス語版)(同年フェミナ賞受賞)がフランスで初めてアルジェリア作家を紹介するために1953年に創刊した同社の「地中海叢書」として刊行された。 フランス、アルジェリアの大作家との出会いを機に、ディブは執筆活動を開始した。以後、仕事を続け、共産党・労働組合の活動も続けながら、新聞に寄稿し始め、1950年にアルジェリア共産党系の新聞『アルジェ・レピュブリカン(フランス語版)』の記者および編集委員の仕事を得た。このために2年間アルジェに滞在することになるが、この間にセナックの紹介でコンスタンティーヌ出身の作家カテブ・ヤシーンに出会った。ディブとともにフランス語マグレブ文学を代表することになる作家であり、彼はディブより9歳下だがすでに処女作の詩集『ひとり言』を発表していた。アルジェでは「地中海的な概念を持つ友情の場所」として1936年にアルジェで「真の富(Les Vraies richesses)」書店を創設してカミュらのアルジェリアの作家を世に送り出したことで知られるエドモン・シャルロ(フランス語版)、上述のロブレスらにも出会い、さらに彼らの紹介で多くの雑誌に寄稿する機会を得た。
※この「作家としての出発点」の解説は、「ムハンマド・ディブ」の解説の一部です。
「作家としての出発点」を含む「ムハンマド・ディブ」の記事については、「ムハンマド・ディブ」の概要を参照ください。
- 作家としての出発点のページへのリンク