伊勢道路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/08 16:33 UTC 版)
「三重県道32号伊勢磯部線」の記事における「伊勢道路」の解説
伊勢道路は伊勢市宇治館町から志摩市磯部町川辺までの15.2 kmを整備し、有料道路とした伊勢道路が無料開放された道路である。
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終戦より16年経った1961年(昭和36年)12月、志摩地方で60年越しの悲願となっていた磯部街道の大改修計画が三重県と道路公団により再開された。発達したモータリゼーションとともに鉄道から観光バスと自家用車へ変化した観光の移動手段に適応し、朝熊山への伊勢志摩スカイラインと複合した観光道路としての計画で、志摩地方を観光地として開発、観光客を志摩地方へ誘導することが主な目的であり、志摩地方の生活道路としての要望を重視したものではなかった。工費の回収のために有料道路とされ、伊勢志摩スカイラインとの分岐に近い五十鈴トンネルの伊勢市側のみに料金所と、トイレのある売店が作られた。この料金所の位置設定により、伊勢市から磯部町へ向かう場合は問題がないが、磯部町から伊勢市へ向かう場合には料金所の待ち行列が五十鈴トンネル内に至ってしまうことがたびたび生じた。 総工費11億6,000万円を投じ、逢坂峠に全長約455mの志摩路トンネルと、朝熊山の西端に全長約870mの五十鈴トンネルを穿った大工事は4年後の1965年(昭和40年)2月13日に竣工し、同年8月14日に供用された。幅員5.5mの完全舗装道路に生まれ変わった磯部街道は「伊勢道路」と名付けられた。鳥羽市経由に比べて距離で約12km、所要時間で約30分短縮した伊勢道路は昭和40年度には約58万台、上下線合わせて1日あたり平均約1,600台に利用された。 伊勢道路は1973年(昭和48年)8月に三重県道路公社に引き渡された。「三重県史 資料編 現代2 産業・経済」に記載された1973年(昭和48年)8月1日からの伊勢道路の通行料金を以下に記す。鈴鹿公園有料道路に比べて約50%、志摩有料道路に比べて20-32%であった。 伊勢道路に設定されていた通行料金普通自動車(乗用) 200円 普通自動車(貨物) 250円 小型自動車(乗用) 120円 小型自動車(貨物) 120円 特殊自動車(大型) 500円 特殊自動車(小型) 50円 乗合自動車(路線) 400円 乗合自動車(その他) 500円 軽自動車 50円 原動機付自転車 30円 軽車両 20円 自転車その他の車両 10円 伊勢道路開通時には自動車の排気ガスで神域の木が枯れてしまうのではないかという声があったが、1978年(昭和53年)ころより排出ガス規制が行なわれるなど自動車が改良されたこともあり杞憂に終わっている。 旧県道山田波切線の大部分は伊勢道路と一致するが、現在の五十鈴トンネルのある山を神宮へ迂回していた部分は伊勢道路に用いた区間と交換する形で神宮に引き渡され、2006年(平成18年)でも一部が現存している。 伊勢道路の五十鈴トンネルと志摩路トンネルの間の約6.8 kmは伊勢神宮の所有する森林であることから極端な切り崩しを控え、急カーブが連続することになってしまった。1976年(昭和51年)3月に志摩路トンネル磯部町側の上り車線に登坂車線が設置される工事が行なわれるなど、開通当初に比べれば安全で円滑な通行が可能になるように改良されているが、2006年現在この地方では交通事故の多い道路であり、トレーラーなどは国道167号へ迂回することがある。 伊勢道路開通とともに三重交通により近鉄志摩線よりも所要時間が短い乗合バスが運行され、伊勢市内などへの通勤、高校・大学への通学が可能な範囲が広がった。 志摩地方には総合病院の三重県立志摩病院があるが、規模と設備から急患に対応できないことが多々あった。伊勢道路開通後は伊勢市内などの総合病院への急患搬送の時間が大幅に短縮され、多くの人命が救われたという。
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