伊勢進出(参宮急行電鉄設立)
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「大阪電気軌道」の記事における「伊勢進出(参宮急行電鉄設立)」の解説
大軌は更に伊勢進出を目論む。当初は高見峠経由のルートが検討されたが、のちに沿線人口が多い初瀬・名張経由での計画に変更された。しかし桜井 - 名張間の敷設免許は、地元小私鉄の大和鉄道(のち、信貴生駒電鉄を経て現・近鉄田原本線)が所有しており、大軌にとって計画の障害となっていた。そこで株式を買い占めて大和鉄道を傘下に収め、同社がもともと取得していた桜井 - 名張間の敷設免許に加えて、名張 - 宇治山田間の免許も取得させた。そして1927年(昭和2年)9月28日に子会社の参宮急行電鉄(参急)を設立、大和鉄道から敷設免許を譲渡させ、路線建設に着手した。 1930年 - 1932年(昭和5 - 7年)に桜井駅 - 名張駅 - 参急中川駅(現・伊勢中川駅) - 宇治山田駅間(本線、現・近鉄大阪線・近鉄山田線)および中川駅 - 津駅間(津支線、現・近鉄名古屋線の一部)を開業した。なお津支線は、同地区における伊勢川口駅 - 久居駅 - 阿漕駅 - 岩田橋駅間の軽便鉄道線を運営していた中勢鉄道を傘下において、同社により中川駅 - 久居駅間の免許を申請し、その免許を参急に譲渡させる形でまず同区間を建設・開業させ、後にそれを津まで延長するという形態で開通した。 大軌と参急は1932年(昭和7年)以降、上本町 - 宇治山田間を2時間1分で走破する直通特急電車を運転開始し、鈍足な蒸気機関車運転の国鉄関西本線・参宮線(3 - 5時間程度)を圧倒して、大阪からの日帰りお伊勢詣りを実現した。この列車が、のちの近鉄特急網の基礎となったという見方もある。 なお、当時の参急線伊勢特急の速度は、70年以上を経た現代の近鉄大阪線快速急行とほとんど互角である。 戦後も近年に至るまで、関西の小学校の修学旅行先に伊勢神宮が定番であったのは、この利便性を生かした大軌(と後身の近鉄)の巧みな営業活動に起因する面が大きいと言われている。
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