代数の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:46 UTC 版)
現代論理学は、ブールを起源としパース、ジェヴォンズ、シュレーダー、ジョン・ヴェン (論理学者)(英語版)を含むいわゆる「代数学派」に始まる。彼らの目的はクラス、命題、確率の領域で推論を形式的に表せるように計算を発達させることであった。この学派は、1847年に発表されとても強い影響力を及ぼしたブールの作品『論理学の数学的分析』(英:Mathematical Analysis of Logic)とともに始まったが、ごく近い先駆者としてド・モルガン(1847年)がある。ブールの体系の基本的な発想は、代数学数式は論理的関係を表すのに使えるというものであった。ブールはこれを10台の頃に思いつき、リンカンの私学校時代に露払いとして用いた。例えば、xとyにクラスを表させ、=にクラスが同じ成員を持つことを表させ、xyにxとyの全ての成員を、そしてxとyの成員だけを表させ、等々。ブールはこれらを「選択記号」すなわち考察するためにある対象を選択する記号、と呼んだ。選択的記号が用いられた表現は「選択函数」と呼ばれ、選択的函数を含む方程式は「選択方程式」である。選択函数の理論と選択函数の「発展」は、真理函数とその加法標準形による表現という本質的に現代的な観念である。 ブールの体系はクラス論理学および命題論理学という二種類の解釈を許す。ブールは三段論法の理論で取り扱うような「一次命題」と命題論理学で取り扱う「二次命題」を区別し、異なる「解釈」の下で代数系が両者をどう表せるのかを示した。一次命題とは例えば「全住民がヨーロッパ系かアジア系である」である。二次命題とは例えば「全住民がヨーロッパ系であるか全住民がアジア系であるかのどちらかである」である。この二つは現代的な論理演算においては容易に区別でき、さらに後者は前者に包含されることも示せるが、ブールの体系ではこれを表すことができないのがブールの体系の大きな欠点である。 『記号論理学』(英:Symbolic Logic、1881年)において、ジョン・ヴェン (論理学者)(英語版)は命題のクラスと真理値のBoolean relationを記述する上で領域の重なる図式を用いた。1869年にジェヴォンズはブールの方法が機械的に進められることを示し、「論理機械」を組み立てて翌年に王立協会に提出した。1885年にアラン・マーカンドが論理機械の電動版を作成しており、今も現存する(picture at the Firestone Library)。 (存在命題を表すのにvという文字を使うなどの)ブールの体系の欠点は全て彼の追随者たちによって改善された。ジェヴォンズは1864年に『純粋論理学、または量とは別の質の論理学』(英:Pure Logic; or, the Logic of Quality apart from Quantity)を出版し、その中で非常に簡素化されたブールの体系に則って排他的論理和を表す記号を提案した。これは、シュレーダーの『講義集』(独:Vorlesungen、1890年–1905年)のなかでparallel columnに定理を適用する際に便利に利用された。パース(1880年)は、全てのブール選択関数を一つの原始的な二項演算「否定論理和」と、同頻度で「否定論理積」を利用して表す方法を示したが、他の多くのパースの業績と同様に、1913年にシェファーが再発見するまでは知られないままでいた。ブールの初期の著作も、パース(1867年)、シュレーダー(1877年)、ジェヴォンズ(1890年)に源を発する論理和の知識や、ジェルゴンヌ(1816年)が最初に提案しパース(1870年)が明確に表現した内含 (Inclusion (logic)) という概念を欠いていた。 ブール代数系の成功により、あらゆる論理は代数的に表せると主張されるようになり、そういった形式で関係の論理を表そうという試みが生まれたが、その中でも最も野心的なものはシュレーダーの記念碑的作品『論理代数講義』(独:Vorlesungen über die Algebra der Logik、vol iii 1895)である。しかし基本的な考えはやはりパースによって予期されていた。
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