人文主義者としての名声とは? わかりやすく解説

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人文主義者としての名声

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 09:52 UTC 版)

デジデリウス・エラスムス」の記事における「人文主義者としての名声」の解説

貧しかったエラスムスパリへ出てラテン語個人教授始めた。これが縁となって1499年イングランドへ渡り同地の上社会多く知己得た人文主義者ジョン・コレット (John Colet)、終生の友となった政治家トマス・モア若きヘンリー王子(後のヘンリー8世)などと交わったジョン・コレット当時オックスフォード大学教鞭をとっており、エラスムス彼の聖書研究方法論当時主流であったスコラ学アプローチでなく、サン・ヴィクトル学派流れを汲んでいた)に影響されている。ジョン・コレットエラスムスギリシア語知識不足指摘し、さらに研鑽を積むよう促すエラスムス聖書研究着手しキリスト教著作発表するうになる1500年に『古典名句集』、1504年には一般信徒向けの信心書である『エンキリディオン』 が出版されると、エラスムス名声高まっていった。 さらに同年ルーヴァンロレンツォ・ヴァッラの手による『新約聖書註解』の写本見出したことは彼の人生の方向決め出来事となった1506年には少年時代から憧れたイタリア行き果たし訪れたトリノ大学神学博士号を授与された。その後イギリスに向かうためアルプス越えたが、その道中で『痴愚神礼賛』の構想得たという。これは古典モチーフしながらエラスムス風刺ユーモア精神遺憾なく発揮され作品となった1514年イギリス離れてスイスバーゼル到着したエラスムス書店店主ヨハン・フローベン (Johan Froben) と知り合う。フローベンとエラスムス意気投合し以後エラスムス著作はフローベンの書店から出版されることになる。1516年出版された『校訂版 新約聖書』(Novum Instrumentum) と9巻からなるヒエロニムス著作集』は学識者の間で高く評価され人文主義者としてのエラスムス評価決定付けることになった。 『校訂版 新約聖書』の出版ではギリシア語テキスト出版重要性および革新性強調されることが多い。すなわち、「人文主義者エラスムスの手によって、西欧初め学術的に校訂されギリシア語新約聖書世に出た」というような言い方である。このような表現は、古典研究であったエラスムス当時カトリック教会言語学術言語であるラテン語軽視し新約聖書オリジナル言語であるギリシア語重視してその出版に力を注いだというような印象与える。 だが、実際エラスムスはこの聖書出版においては、むしろ優れたラテン語新約聖書世に出そうとラテン語版校訂力点置いていた。実際エラスムス出版したギリシア語テキスト正文批判レベルからすれば稚拙なものであった。その理由エラスムスが手にいれたギリシア語新約聖書フィレンツェ公会議バーゼル公会議)に参加した東ローマ帝国聖職者によって西欧もたらされたもの(ビザンチン写本)であり、テキストとしてはせいぜい12世紀さかのぼるのがやっとのものであったヴルガータ呼ばれた当時ラテン語定本古代ギリシア語版から翻訳されており、その痕跡随所残していた)。さらにエラスムスは『ヨハネの黙示録』の完全なギリシア語版を入手できなかったため、その一部手元ラテン語版見て自分ギリシア語翻訳した。つまりエラスムスにとって『校訂版 新約聖書』に添付したギリシア語テキスト重要性はその程度のものだったのである。これに反して彼はラテン語テキスト校訂および新約聖書注釈書執筆には相当に力を入れている。 エラスムス思い裏腹に自信持ってまとめたラテン語テキストより稚拙なギリシア語テキストのほうが広く受け入れられ1521年ルタードイツ語訳聖書著したときに、1519年第二版底本として用いたこともよく知られている。 このころエラスムス学者として高い評価受けていたことは、1516年ブルゴーニュ公シャルル(後のカール5世)の名誉参議官に任命されていることからもうかがえる。また、当時スペイン摂政ヒメネス・デ・シスネロスは自ら進めていた多言語対訳聖書(『王の聖書』、Complutensian Polyglot)の校訂アドバイザーとしてエラスムス招聘している。若き貴公子シャルルのためにエラスムスは『キリスト教君主教育』(Institutio pricipis Christiani) を著している。以後アントウェルペンバーゼルルーヴァンなどをまわりながら研究・執筆活動続けた

※この「人文主義者としての名声」の解説は、「デジデリウス・エラスムス」の解説の一部です。
「人文主義者としての名声」を含む「デジデリウス・エラスムス」の記事については、「デジデリウス・エラスムス」の概要を参照ください。

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