主査制度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:27 UTC 版)
1955年発売の初代クラウンの中村健也以来、トヨタ車の開発責任者は「主査」(1989年以降はチーフエンジニア)と呼ばれる。豊田英二が「主査は製品の社長であり、(会社の)社長は主査の助っ人である」と語り、主査は自動車の設計・開発だけでなくマーケティングやコスト管理、売り上げまで含めて車両の最適化と責任を一手に引き受けているのが大きな特徴で、これにより才能ある人間が商品力の高い(=売れる)自動車を開発することができた。これは元戦闘機設計者であった長谷川龍雄の提案で、航空機開発のチーフデザイナー制が元になっている。ただしその分主査は才能・人格、幅広い分野の知識など様々な面で優れていなければならないため、主査を務められる人材の育成・見極めまできちんとする必要がある。また主査ごとに自動車に対する思想は異なるため、企業全体で見たときトップの思想・主張とは異なった自動車になることもある。 主査制度は最初から並行して複数案を進めて絞り込んでいく「セットベース開発」、情報共有を円滑にする「A3報告書」と並ぶ「トヨタ流製品開発」(TPD、Toyota Product Development)の代表格で、これらは合わせて「リーン製品開発」としてアメリカで知られるようになり、シリコンバレーや他の国内自動車メーカーにも取り入れられた。企画・設計の段階で生産担当者や部品供給者が関わって、生産の川上で品質の8割を確保する「サイマルテニアス・エンジニアリング(SE)」も早くから採用され、「品質は工程でつくりこむ」を可能とした。一般にトヨタといえば生産の川下のノウハウであるトヨタ生産方式(TPS)の方が知られているが、近年はトヨタ流製品開発の方が注目され始めている。 「リーン生産方式」も参照 一方でトヨタの場合は各主査が最適化を図るために細部を変更したため、後にプラットフォームや部品の種類が膨大に増えてコスト増加を招いた。市場拡大と技術発展の著しくなった80年代から、技術開発部門が12000人に膨れあがり、技術も細分化されたことで技術開発部門の発言力が増した上、部署間の情報伝達や調整に莫大な時間がかかっていた。結果としてトヨタの開発は商品軸から機能軸へと傾き、主査が思う様な自動車を作れなくなる事態も発生した。これに対してトヨタは1992年に『開発センター制』を導入。主査は商品企画部長とセンター長の下に置かれて権限は弱体化したものの、情報伝達・調整が効率化されて再び商品軸で開発が可能になった。しかし技術部門の細分化は解消されず、技術者育成が停滞し、2008年のGI20で機能軸の開発体制に変更された。 2012年以降は主査とチーフエンジニアは分離されて別々の役職となり、チーフエンジニアが従来の主査に近い役割になった。チーフエンジニアは製品企画本部長の直轄となり権限が強化され、「お客様に一番近い開発総責任者」としての立場が明確にされた。2017年に激化する自動運転・EV開発戦争の時代に適応するため『社内カンパニー』制を導入、機能軸の横串を残しつつセグメント毎に独立した機能で顧客の要望に柔軟に対応しやすくし、再び商品軸中心の開発体制に戻した。
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