主曲輪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 03:02 UTC 版)
山頂部分の曲輪の大きさは東西約170m×南北約45mで、主曲輪部分の曲輪の配置、石垣の組み方、本格的な建物跡から近世風との指摘がある。 本丸 南面と二の丸方向を石垣で固め、他は土塁である。石垣は土塁の上に築かれており鉢巻石垣と同じ構造である。登り口東横の石垣の囲まれた部分には、天守の礎石とみられる石の配列があり、天守台の祖型が推察できる。しかし『中世城郭辞典』では明智光秀の周山城の天守台遺構と比較すると、疑問が残ると指摘している。昭和初期までは建造物の礎石が並んでいたと言われているが、現状確認はできない状態になっている。 二の丸 南面と本丸、三の丸側に面した所に石垣が築かれているが、三の丸側の石垣は崩壊が進んでいる。しかし崩壊があることから櫓台跡とも推定されている。また並瓦、軒瓦、冠瓦などの遺物から室町時代特有の大きな瓦葺きの建造物が、本丸東部と二の丸北西部に建設されていたと実証されている。 三の丸 隅櫓の石垣と二の門の礎石がある曲輪である。本丸、二の丸は直線上にあるのに対して、三の丸と東曲輪は「くの字」型をしており、矢掛りがかかるように配置しているのも、黒井城の特徴の一つである。城門の礎石は二列が確認でき、ある程度の規模の門があったと推察できる。 二の丸跡 本丸への虎口跡 本丸跡に建つ保月城址の石碑 西曲輪から本丸跡を撮影
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