主宰者・内村健一についてとは? わかりやすく解説

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主宰者・内村健一について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/05 20:21 UTC 版)

天下一家の会事件」の記事における「主宰者・内村健一について」の解説

内村は、1925年6月熊本県上益城郡甲佐町生まれる。第二次世界大戦海軍予科練入隊し特別攻撃隊となったものの出撃せずに終戦迎える。内村戦後昭和23年ごろから5年間、飲食店売春婦をおいて商売をしていた。内村には前科があった。傷害昭和25年11月起訴猶予暴行傷害昭和27年8月懲役9か月宮崎刑務所服役詐欺昭和30年10月起訴猶予職安法違反昭和31年12月罰金3万円横領昭和41年5月起訴猶予この内傷害暴行逃げた売春婦連れ戻し暴行した際の罪であり、職安法違反売春婦を他の店に売った罪だった。第一生命保険外交員となり、腕利きセールスマンだったと言われる加えて妻には遊郭新月」の経営任せていた。持病糖尿病悪化し入院。この入院中に保険外交員のノルマシステム・代理店制度等をモチーフにし、加えて九州地方盛んに行われていた頼母子講一種無尽似た相互扶助制度)から天下一家の会着想得たと言われる。また天下一家の思想は、内村夫婦仲人だった西村主張した宇宙一体の生命論に立脚する平和思想」(「天下一家の会第一相互経済研究所定款 前文)から借用したと言われている。 1967年内村自宅本部として第一相互経済研究所創立其処本拠に「親しき友の会」というネズミ講開始した。これが大当たりし設立3年にして熊本市本部ビル構えるまでに成長するが、同年熊本国税局所得税脱税容疑内村研究所捜索熊本地方検察庁告発し1972年内村逮捕された。内村は、研究所自体人格なき社団であり個人的な所得ではないと主張したが、裁判所は、第一相互経済研究所天下一家の会内村個人的に管理・運営しているものであり内とほぼ一体であると認定内村脱税有罪判決を受け、懲役3年執行猶予3年罰金7億円の刑が確定した。 ただ、裁判争っている中でも新たに花の輪」や「太子講」を始めるなど、ネズミ講継続し続けている上に、批判強くなるに連れ次第天下一家の思想立脚し宣伝する団体だと強調するようになった本会は、天下一家の会思想である人類としての真理生命知り、心、和、助け合い精神家族中に培い物心両面以って相互扶助し、人間性豊かな社会人作り平和な社会福祉実現し国民として祖国愛知らしめると共に生命尊厳人類幸せ自覚せしめ、世界平和に貢献することを目的とする。 — 「天下一家の会第一相互経済研究所定款 第2条

※この「主宰者・内村健一について」の解説は、「天下一家の会事件」の解説の一部です。
「主宰者・内村健一について」を含む「天下一家の会事件」の記事については、「天下一家の会事件」の概要を参照ください。

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