主宰者・内村健一について
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「天下一家の会事件」の記事における「主宰者・内村健一について」の解説
内村は、1925年6月に熊本県上益城郡甲佐町で生まれる。第二次世界大戦で海軍予科練に入隊し、特別攻撃隊となったものの出撃せずに終戦を迎える。内村は戦後の昭和23年ごろから5年間、飲食店に売春婦をおいて商売をしていた。内村には前科があった。傷害(昭和25年11月)起訴猶予・暴行傷害(昭和27年8月)懲役9か月宮崎刑務所服役・詐欺(昭和30年10月)起訴猶予・職安法違反(昭和31年12月)罰金3万円・横領(昭和41年5月)起訴猶予。この内の傷害、暴行は逃げた売春婦を連れ戻して暴行した際の罪であり、職安法違反は売春婦を他の店に売った罪だった。第一生命保険の外交員となり、腕利きのセールスマンだったと言われる。加えて妻には遊郭「新月」の経営を任せていた。持病の糖尿病が悪化し入院。この入院中に、保険外交員のノルマシステム・代理店制度等をモチーフにし、加えて九州地方で盛んに行われていた頼母子講(一種の無尽に似た相互扶助制度)から天下一家の会の着想を得たと言われる。また天下一家の思想は、内村夫婦の仲人だった西村展蔵が主張した「宇宙一体の生命論に立脚する平和思想」(「天下一家の会・第一相互経済研究所」定款 前文)から借用したと言われている。 1967年に内村は自宅を本部として第一相互経済研究所を創立、其処を本拠に「親しき友の会」というネズミ講を開始した。これが大当たりして設立3年にして熊本市に本部ビルを構えるまでに成長するが、同年熊本国税局が所得税脱税の容疑で内村と研究所を捜索、熊本地方検察庁に告発し1972年に内村は逮捕された。内村は、研究所自体が人格なき社団であり個人的な所得ではないと主張したが、裁判所は、第一相互経済研究所・天下一家の会は内村が個人的に管理・運営しているものであり内村とほぼ一体であると認定。内村は脱税で有罪判決を受け、懲役3年執行猶予3年、罰金7億円の刑が確定した。 ただ、裁判で争っている中でも新たに「花の輪」や「太子講」を始めるなど、ネズミ講を継続し続けている上に、批判が強くなるに連れ次第に天下一家の思想に立脚し、宣伝する団体だと強調するようになった。 本会は、天下一家の会の思想である人類としての真理と生命を知り、心、和、助け合いの精神を家族の中に培い物心両面を以って相互扶助し、人間性豊かな社会人を作り、平和な社会福祉を実現し国民として祖国愛を知らしめると共に、生命に尊厳、人類の幸せを自覚せしめ、世界に平和に貢献することを目的とする。 — 「天下一家の会・第一相互経済研究所」定款 第2条
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