ロッキード事件の勃発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:48 UTC 版)
「ロッキード事件」も参照 田中金脈で深く傷ついた自民党の危機に、いわば緊急避難的な事情で成立した三木政権であったが、公職選挙法改正、政治資金規正法改正、そして独占禁止法改正と、自民党の支持基盤にメスを入れるような政策を次々と実施しようとする三木に対し、自民党内の反発は強まっていた。これは自民党の支持基盤を揺るがす政策を進めようとしているとの反発もさることながら、椎名裁定といういわばイレギュラーな形で総理総裁になった三木が、本格的な改革を進めようとしたことに対する反発も強かった。 金脈問題で世論の指弾を浴び、自民党に深手を負わせた前首相の田中であったが、三木のもたつきを見て動き始めた。田中は1975年(昭和50年)8月に、三木の退陣を前提として椎名暫定政権、または保利暫定政権案を自民党内に流していた。自民党内からその政治姿勢に対する批判を浴びた三木は、靖国神社参拝、独占禁止法改正案の国会再提出の断念など、批判派との妥協を図った。三木の妥協に対して世論の反応は厳しく、内閣支持率は低下して三木政権は危機に立たされた。1976年(昭和51年)に入ると田中は復権を目指し、ますますその動きを強めつつあった。このような政権の危機状態に陥っていた三木の前に、アメリカから大きな知らせが飛び込んできた。 1976年(昭和51年)2月4日、アメリカ上院外交委員会多国籍企業小委員会の席で、ロッキード社が自社の航空機売り込みを図り、工作資金を日本、オランダ、イタリア、トルコなどに投入したことが明るみに出た。いわゆるロッキード事件の発端である。 小委員会はロッキード社のコーチャン副会長らを参考人として召致するなど、調査を進めた。数日間の間に、ロッキード社からの日本向けの工作資金は当時の為替レートで30億円を越えた額であること、そして工作資金はロッキード社の航空機売り込みを図ることをもくろみ、表の代理人役として商社の丸紅、そして児玉誉士夫を裏の代理人役として日本の政府高官に渡された、いわゆる贈賄が行われたこと。そして児玉以外に、国際興業社主の小佐野賢治もロッキード社の売り込み工作に関与していたことなどが明らかとなり、日本の政界は蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。 航空機売り込みの便宜を図ることを目的とし、日本政府の高官に賄賂を贈ったというロッキード事件の発覚を受けて、野党はさっそく衆議院予算委員会で疑惑の追及を開始した。三木は日本の政治の名誉にかけても真相を明らかにし、法に触れることが明らかとなれば厳重に処置しなければならないとし、事件の徹底究明への意欲を見せた。党内からの政治姿勢への反発、支持率の低下という危機に直面していた三木にとって、大規模な疑獄事件であるロッキード事件の発覚は起死回生のきっかけとなった。 三木がロッキード事件の徹底究明に努力した動機については、まず自らの政権危機に見舞われている最中に、復権に向けて活動を活発化させていた前首相の田中を追い落とす絶好のチャンスであると判断したためとする説がある。ロッキード事件への関与が明らかとなった小佐野賢治は、田中との親密な関係で知られており、事件に田中の関与があることを想定するのは容易である。三木は金脈問題で首相辞任に追い込まれたとはいえ、強大な力を持ち続けている田中を倒し得る千載一遇の機会を捉えたとするのである。 一方、初当選以来政治浄化を唱え続けてきた三木にとって、ロッキード事件の真相を解明することによって日本の民主主義を守ることが三木の真の目標であり、事件を危機に陥っていた政権の浮揚に利用したり、政争を勝ち抜くために田中の追い落としを図るということではなかったとする見方もある。三木は首相退任後、政権浮揚などの必要性が無くなった後も終生政治とカネの問題、とりわけ利益誘導型の田中政治に対する厳しい批判を続けており、政争目的のロッキード事件徹底解明ではこの点の説明が困難であるとする。 事件発覚から数日以降、アメリカ発の事件に関するニュースが途絶えだした。これはアメリカ政府内のキッシンジャー国務長官らが、各国政府が事件対応で苦境に追い込まれるのを防ぐため、情報開示を制限するようになったためであった。これ以降、事件の究明は日本の国会、政府、そして司法の手にかかるようになった。まず国会は2月9日、事件関係者とされた児玉、小佐野らの証人喚問を決定した。2月16、17日に行われた証人喚問では、小佐野らは肝心な場面では記憶に無いなどと質問をはぐらかしながら疑惑を否定した。なお児玉は病気を理由に喚問を欠席した。2月19日、政府はロッキード問題閣僚協議会を設置し、三木は記者会見の席で改めて事件の真相解明への意欲を強調した上で、政府高官を含めた事件の全資料公開を原則とすること、そして政府高官逮捕に際し指揮権発動を行わない方針であることを明らかにした。 2月23日、衆参両院はアメリカ政府、アメリカ上院に対し、ロッキード事件の解明のため、事件に関する資料の提供を要請する決議を全会一致で可決した。決議可決を受けて三木はフォード大統領宛に、日本の民主政治は事件の真相解明という試練に耐え得る力を持っており、日本の民主政治の発展のために全ての資料の提供を求めるとの内容の、いわゆる三木親書を送ることを明らかとした。なお、親書発送については自民党執行部も外務省も事前の相談を全く受けていなかった。
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