民主政治の発展
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19世紀後半に入ると北欧諸国で政党の発達が見られるようになった。1866年に国会を改組したスウェーデンでは下院の大半を制する小農出身の議員たちによって農民党が結成され、自らの階級利害のための活動をはじめたのを皮切りに20世紀に入ってからは自由党や社会民主党などが相次いで結成された。こうした背景にはオスカル2世のとった産業保護政策があった。鉄鉱業が大いに発展し、活発な産業・貿易を背景に豊かで平和な国家として繁栄を築いていった。 1870年に入るとデンマークの農民等は都市部の小市民層を吸収して自由党となり、国民自由党に対してみずからをヴェンスタ(左翼)と呼称するようになった。また、1876年に入ると労働組合を支持母体とした社会民主党が結成され、急速に党勢を拡張した。こうした革新勢力に好意を寄せていたクリスチャン9世は1901年、総選挙によって下院の左派勢力が大きく伸張したのを機会に左派勢力による連合内閣の組閣を命じ、義務教育改革や軍事費の削減などに注力した。また、産業面ではアメリカやロシアの低廉な穀物がヨーロッパ市場に氾濫したことにより、穀物の輸出によって外貨を獲得していたデンマークは大打撃を蒙り、非常な不況に見舞われた。穀物農業従事者たちは相次いで酪農業へと転向し、バター、ベーコン、チーズ、練乳などの生産に従事するようになった。この転向は農業教育の普及、協同組合の発達、イギリスを主とした海外市場の存在などを背景に急速に成長し、デンマークを世界一の農業国へと押し上げた。同時にイギリス、ドイツなどから石炭や鉄を輸入して工業の育成に努め、著しい発展を見せた。 一方、独自の政府を持ちつつも軍事と外交をスウェーデンに押さえられていたノルウェーでは、海運業の発達とともに利益を代表する領事を置く必要性が叫ばれるようになった。1885年、1901年とノルウェー政府はスウェーデンに対して独立領事館の設置を要請したがこれが拒否されたため、1905年に首相となったクリスティアン・ミケルセンによって6月7日、内外に対して同君連合からの離脱と新しい国王を戴くことが宣言された。スウェーデンのオスカル2世は主戦論に湧く世論を慰撫してこれを認め、カールスタッドの分離協定に両国が調印することでノルウェーの正式な独立が実現した。新しいノルウェーの国王としてデンマークの王子カールが選ばれ、同年11月27日、ホーコン7世として即位した。こうして宿願であった独立を成し遂げたノルウェーは清新な意気を持って自国の改革と発展に注力し始めた。
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